伝記
ミトラダテス4世は、アルサケス朝パルティアの王である。在位は129年から140年とされ、パルティア西部を支配した王オスロエス1世の勢力を継承した。名の「ミトラダテス」は古代ペルシア語の「ミトラによって与えられた者」に由来し、ギリシア語ではミトリダテス、ミトラダテス、メレダテスなどと表記される。
出自ははっきりしない。ヴォノネス2世の息子で、ヴォロガセス2世、パコルス2世、オスロエス1世の兄弟だと伝えられるが、ヴォノネス2世の没年は51年、彼自身の即位は129年であり、これに従えば少なくとも78歳で即位したことになるため、この伝統的な系図は非常に疑わしいと考えられている。ヴォロガセス1世の子でパコルス2世らの兄弟とする説や、オスロエス1世の兄弟とする説もあり、見解は一致しない。生年は不明である。彼については、ギリシア語とパフラヴィー語の銘を持つ貨幣によって主に知られる。パフラヴィー語の長い銘が現れるのは、パルティア貨幣ではこれが最初とされ、青銅貨にはワシ、横たわるこぶ牛、羊、馬や牛の頭など、いくつかの動物が描かれている。
トラヤヌス帝のパルティア遠征の時期、彼はオスロエス1世とともにパルティア西部で勢力を振るい、東部を支配する王ヴォロガセス3世に対抗していた。アルメニア王位の継承をめぐる問題からローマ皇帝トラヤヌスの侵攻を受け、首都クテシフォンをはじめバビロニア全域がローマに占領された。ローマの手で傀儡王パルタマスパテスがパルティア王に立てられたが、オスロエス1世、ミトラダテス4世、その息子シナトルケス2世はこれに反発し、抵抗を続けた。ただしトラヤヌスは南へ進んでペルシア湾に達し、彼らを破ってメソポタミアをローマの属州と宣言したとも伝えられる。117年に新皇帝ハドリアヌスがバビロニアを放棄すると、オスロエス1世がパルタマスパテスを破って支配権を回復した。
129年にオスロエス1世が死去すると、ミトラダテス4世は後継者としてパルティア王となった。東部のヴォロガセス3世はアラン人との戦いに追われていたが、トラヤヌスとの戦いの影響などで、ミトラダテス4世の立場は不利であり、その勢力はパルティア西部にとどまった。その後もローマとの戦いが続いた。彼は息子シナトルケス2世を後継者に指名したが、対ローマ戦のなかでシナトルケス2世は戦死した。ミトラダテス4世自身も、140年にローマ領コマンゲネを攻撃した際に戦没したとされる。一方、ヴォロガセス3世に敗れて廃位されたとする伝えもあり、没年を147年とする説もある。
彼の死後、パルティアの大部分はヴォロガセス3世の支配下に入った。しかしミトラダテス4世の別の息子ヴォロガセス4世が、ヴォロガセス3世の死後に権力を握った。その即位は147年とされる。
同じ年に亡くなった人物
- バシレイデース (140年代没)
- ルキウス・アンナエウス・フロールス (140年没)
- アレクサンドリアのメネラウス (140年没)
- 大ファウスティナ (140年)
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