伝記
ヘルマスは、2世紀のローマで暮らした解放奴隷で、キリスト教徒である。アクイレイアの生まれとされ、父はルフィヌスというイタリア人だった。『ヘルマスの牧者』という書物の登場人物であり、見方によってはその著者でもあるとされる。この書物は、初期の教会では聖書の正典に数えられることもあった。後世の著述家の中には、彼を、新約聖書に名が挙がるダルマチアのヘルマスと同一視する者もいる。
ヘルマスは、2世紀の半ばごろにローマ司教を務めたピウス1世の兄弟だとされる。このことは3つの文献が伝えている。ムラトリ断片は、ごく最近、われわれの時代に、兄弟のピウスがローマ教会の座にあったとき、ヘルマスがローマの町で『牧者』を書いたと述べる。235年にさかのぼる部分を含む教皇表も、ピウスの司教在任中に兄弟のヘルメスが書物を著し、そこには牧者の姿で現れた天使が授けた教えが収められているとする。3世紀か4世紀の偽テルトゥリアヌスの詩も、ピウスの肉親の兄弟がヘルマスだと記している。ただし、ピウスの在任中に書かれたという話は、教皇表でピウスの名の脇に兄弟の記述を見つけた書き手の推測にすぎない可能性もある。ヘルマスはピウスの兄だったかもしれないともいわれる。
『牧者』そのものについては、『天路歴程』に似た寓意の書とみなされてきた。作中の自伝的な点は、事実かもしれず、まったくの虚構かもしれず、事実をもとにした虚構かもしれないとされる。著者の名が本当にヘルマスだったかどうかさえ確かではない。『牧者』には、ローマのクレメンスの時代に置くほうがふさわしい部分もあり、現在の形の『牧者』は、同じ著者による異なる時期の文章を集めたものだと考えて、この食い違いが解かれてきた。
『牧者』の語るところでは、ヘルマスはもと奴隷で、ローマの女性ローデに売られ、のちに解放された。その後、一定の地位を得て、経済的にも余裕のある暮らしをするようになった。作品には自伝的な要素が多く、ヘルマスには2人の子がいて、迫害のときにキリスト教を捨てたとされる。妻についても書かれており、おしゃべりな女性として描かれている。ローマとクマエの間にあった土地や耕作地にも触れている。ユダヤ系だったのか異教徒の出だったのかは論じられてきたが、エッセネ派の霊性を思わせる点とギリシア文化への深い理解を併せ持つ作品であるため、結論は出ていない。
オリゲネスとカイサリアのエウセビオスは、パウロがローマの信徒への手紙の末尾であいさつを送ったヘルマスと彼を同一視した。カトリック教会は5月9日をヘルマスの祝日として記念している。
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