HISTORICAL PERSON · 1972年没

エドワード・カルビン・ケンダル

米国の生化学者。副腎皮質ホルモンの構造と機能の研究により、1950年にノーベル生理学・医学賞をライヒスタインらと共同受賞した。コルチゾンの発見者としても知られる。

生涯
1972年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニュージャージー州 / プリンストン)
出生地
アメリカ合衆国(サウス・ノーウォーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニュージャージー州)

伝記

エドワード・カルビン・ケンダルは、1886年3月8日にコネティカット州サウス・ノーウォークで生まれたアメリカの生化学者である。コロンビア大学で学び、1908年に学士号を、1909年に化学の修士号を、1910年に化学の博士号を取得した。博士号を得て最初に就いた職は、パーク・デイビス社の研究員で、与えられた最初の課題は、甲状腺に関連するホルモンを単離することだった。デトロイトでの5か月ほどの赴任ののち、1911年から1914年まで、ニューヨークのセント・ルーク病院で、この研究を続けた。1914年にメイヨー財団の大学院の生化学部門の主任となり、翌年には生化学部の部長に任命された。

生化学と医学に、いくつか重要な貢献をした。最も重要な発見は甲状腺ホルモンのチロキシンの単離だったが、これは彼がもっとも多くの称賛を受けた仕事ではなかった。共同研究者とともに、グルタチオンの単離とその構造の決定にも関わった。また、副腎皮質からいくつかのステロイドを単離し、そのうちの一つは、はじめ「化合物E」と呼ばれた。メイヨー・クリニックの医師フィリップ・ショウォルター・ヘンチと協力して、この化合物を関節リウマチの治療に用いた。のちにこの化合物はコルチゾンと名づけられた。1950年、「副腎皮質ホルモンに関する発見、その構造と生物学的効果」により、スイスの化学者タデウシュ・ライヒスタインやヘンチとともに、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞講演の題は「治療薬としてのコルチゾンの開発」である。

同じ1950年にアメリカ科学アカデミーの会員に選ばれ、1951年にはアメリカ芸術科学アカデミーと、アメリカ哲学協会の会員にもなった。1949年にはラスカー賞、1950年にはパサノ賞、1952年にはジョージ・M・コーバー・メダルを受けた。エディンバラ大学のキャメロン賞や、1966年のアメリカ功績アカデミーのゴールデン・プレート賞も受け、シンシナティ大学やイェール大学、コロンビア大学などから名誉博士号を贈られた。1951年にメイヨーでの勤務は定年で終わり、プリンストン大学の生化学科の客員教授となって、亡くなるまで同大学に関わった。1915年にレベッカ・ケネディと結婚し、四人の子をもうけた。1972年5月4日、ニュージャージー州プリンストンで亡くなった。故郷のノーウォークにあるケンダル小学校は、彼の名にちなんでいる。

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