HISTORICAL PERSON · 1972年没

ジョン・エドガー・フーヴァー

アメリカ連邦捜査局の初代長官。48年にわたり長官を務め、8人の大統領に仕えた。指紋ファイルや法医学研究所など捜査の科学化を進めた。

生涯
1972年没
死亡地
アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)
出生地
アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)

伝記

ジョン・エドガー・フーヴァーは一八九五年に生まれた。本人はワシントン生まれと自称していたが、生い立ちについて確かな記録は少なく、出生証明書も四十三歳になるまで登録されなかった。高校を卒業すると議会図書館で働きながらジョージ・ワシントン大学に通い、一九一六年に法科大学院を卒業、翌年には法律学の修士号を得て司法試験にも合格した。図書館で書類を整理する技術を身につけた後、司法省に入り、在留敵国人の登録を扱う部署で働いた。一九一九年には同省の新しい諜報部門の長となり、一九二一年に捜査局副長官へ昇進した。一九二四年、二十九歳で同局長官に任命され、組織の運営と捜査の指揮を担うことになった。

就任時の捜査局は、特別捜査官四百四十一人を含む約六百五十人の職員を抱えていた。彼は腐敗や予算不足を抱える組織の改革を進め、全米から警察官を採用する一方、職員の私生活も調べ、不倫や借金、体重などを理由に解雇した。指紋記録の整備や法医学研究所の設置などを通じ、科学的な捜査手法を導入したことは評価された。指揮下では一九三〇年代のギャング捜査、第二次世界大戦中のスパイ摘発、戦後の冷戦期の共産主義者捜査が行われた。捜査局は一九三五年に連邦捜査局へ改称され、一九三九年には国内諜報で大きな権限を持つ組織となり、連邦議会が一九七一年まで予算審議を行えないほどの存在となった。彼は歴代八人の大統領に仕え、長官として約四十八年間在任した。一九三九年には米国科学アカデミーから公共福祉メダルを受け、一九六六年にも長官としての功績を顕彰された。

その一方で、フーヴァーは公的記録とは別に政治家や著名人の情報を集め、秘密のファイルを作った。捜査の範囲を越えて反対者や活動家を監視し、適正でない手段で情報を得たことも、死後に明らかになった。集めた情報には大統領や議員の醜聞も含まれ、政治家に圧力をかけるために使われた例が伝えられる。一九六〇年代初め、盗聴を追及した上院議員エドワード・ロングには、部下を通じて醜聞をまとめた資料を示し、その後、追及は弱まった。ケネディ政権が罷免を考えた際にも、ケネディの女性関係やマフィアとの交際を公にすると示唆したと伝えられる。リチャード・ニクソンは一九七一年、フーヴァーを罷免しなかった理由の一つとして報復への恐れを挙げた。フーヴァーは人種差別主義者でもあり、捜査官に有色人種をほとんど採用しなかった。ただし、日系人の強制収容には反対し、真珠湾攻撃の直後にスパイの疑いがある者はすでに連邦捜査局が拘束したと主張した。賭博を好み、犯罪組織に対して強硬に出なかったことも批判され、死後にはマフィアから賄賂を受け取っていたことが明らかになった。

一九七二年五月二日、フーヴァーは長官在任中に没した。死後、ニクソンは書斎に残された記録の調査を命じたが、膨大なファイルの多くは秘書によって処分された。長官の地位に権力が集中しすぎたことや、犯罪組織との癒着を防ぐため、後任からは任期が十年に制限された。捜査機関の近代化を進めた功績と、政治的な監視や脅迫に組織を利用した行為が並んで記録され、彼の評価は大きな論争を残している。

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