伝記
カティーナ・パクシヌーは一九〇〇年十二月、ギリシャのピレウスに生まれた。出生時の名はエカテリニ・コンスタントプロウで、最初の短い結婚相手イオアニス・パクシノスの姓を舞台名とした。若い頃にジュネーヴ、ベルリン、ウィーンで音楽を学び、オペラ歌手としての訓練を受けた。一九二〇年にはディミトリス・ミトロプーロス作曲のオペラ初演で役を得たが、やがて音楽を離れ、演劇に活動の軸を移した。一九二八年にアテネで初舞台を踏み、翌年にはギリシャ国立劇場に加わった。舞台では古代ギリシャ悲劇に加え、シェイクスピア、イプセン、オニールらの作品にも出演した。一九三二年には『アガメムノン』、一九三三年には『オセロ』、一九三八年には『リア王』にも出演した。一九三七年にはエウリピデスの『ヒッポリュトス』にも出演した。一九三〇年から翌年にかけては、ソフォクレスの『エレクトラ』を演じてニューヨークのブロードウェイの舞台にも立った。
俳優で演出家のアレクシス・ミノティスと知り合い、一九四〇年に結婚した。第二次世界大戦が始まった時、二人はロンドン公演中で、その後アメリカへ移住した。彼女は一九四二年にイプセンの『ヘッダ・ガブラー』、一九四四年に『ソフィー』でブロードウェイの舞台へ出演した。一九四三年、サム・ウッド監督の映画『誰が為に鐘は鳴る』で、ピラール役で映画デビューを果たした。この役の演技により、一九四四年にアカデミー助演女優賞と、第1回ゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞した。ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞にも候補に挙がった。ハリウッド映画には一九四九年までにほか四本出演した。
一九五〇年、ミノティスとともにギリシャへ戻り、国立劇場を中心に舞台活動を続けた。以後もブロードウェイへ何度か出演し、一九五一年にはロルカの『ベルナルダ・アルバの家』に出た。一九六一年が最後のブロードウェイ出演となった。一九五五年にはエピダウロスの古代劇場で、ミノティス演出の『ヘカベ』にも出演している。ギリシャでは古典劇のほか、イプセンやシェイクスピア、ユージン・オニールの作品にも取り組み、『ハムレット』や『メデイア』、『マクベス』にも出演した。一九五二年にはソフォクレスの『オイディプス王』のために舞台音楽を作曲した。同年、この作品はブロードウェイでも上演された。
映画ではアメリカ作品に加え、フランスやイタリアの作品にも出演した。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や、オーソン・ウェルズ監督の『秘められた過去』などに出演し、一九七〇年までに十四本の映画に関わった。一九五九年にはアメリカ映画『大地が燃える』に出演し、これが最後の米国映画となった。一九六五年にはギリシャ映画『アフロディーテの島』にも出演した。映画や舞台のほか、アメリカとイギリスのテレビ番組にも一九五二年から一九七〇年まで出演し、四つのシリーズやテレビ映画、ドキュメンタリーにも参加した。
一九七二年、癌を患いながらブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の舞台に立ったのが、最後の演劇出演となった。翌一九七三年二月二十二日、アテネで死去した。七十二歳だった。ハリウッド大通りには彼女に捧げられた星がある。
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