伝記
マルセル・アシャールは、1899年7月5日に生まれ、1974年9月4日に没したフランスの劇作家、脚本家、映画監督である。リヨン近郊の町サント=フォワ=レ=リヨンの出身で、本名はマルセル=オーギュスト・フェレオルといい、筆名は1920年代初めに書き始めたころから使った。飲み込みが早く、第一次世界大戦のさなかの1916年に、17歳で村の学校の教師となった。大戦が終わって数か月後の1919年、20歳で作家を志してパリに出ると、ヴュー・コロンビエ座のプロンプターとして働き、『フィガロ』紙をはじめ各紙の記者も務めた。
1922年に最初の戯曲を書き、翌1923年には、名優で演出家のシャルル・デュランが、サーカスと道化師を題材にした繊細な喜劇『私と遊ばない?』(原題の訳)を上演して大成功を収めた。作者自身も道化の一人として小さな役で舞台に立った。この作品は以後の作風の型となり、彼の戯曲の多くは、イタリアの伝統的な即興喜劇に出てくるピエロとコロンビーヌといった定型の人物や状況を、現代に移して作り直したものと見なせる。そこには時に感傷的で、郷愁を帯びた恋の筋があり、笑いと痛み、悔いが同じ割合で混ざり合う。1929年の『月のジャン』は、忠実なピエロ型の人物ジェフの揺るがない信頼が、不貞を重ねる妻を、夫が思い描く理想の姿へ変えていく話である。1932年の『ドミノ』には、愛人から夫の目をそらそうと、ジゴロに自分を口説くふりをさせた妻が登場するが、ジゴロがあまりに真剣に演じたため、彼女はその架空の姿に恋してしまう。作品に漂う夢のような甘く切ない気分は、題名の多くが当時の流行歌から採られていることにも表れている。
第一次大戦と第二次大戦のあいだの時期に、人気は頂点に達した。当時の批評家は、マリヴォーやミュッセといった先人に彼をなぞらえて称賛したが、戦後の評論家は、描かれる人間の心の幅が狭いと指摘し、甘ったるい詩情から「恋愛の専門家」と皮肉った。ただ、あまり知られない作品には革新的な手法や独自の主題がある。1929年の『美しき艀の女』は、艀の船頭とその妻、親友の三角関係を描いた写実的な劇である。1933年の『白衣の女』は、登場人物が語る出来事を観客の前で再現するという当時としては新しい手法を用いた。1938年の『私掠船』では、ピランデッロが先駆けた劇中劇の仕掛けにより、映画俳優が昔の海賊の生涯を演じるうち、似た状況の繰り返しに迷い込む。同じ年の『アダム』は、不幸な同性愛者の葛藤に光を当てた最も物議をかもした作で、当時は醜聞と受け取られたが、1960年代末に短く再演された際には、穏当で古めかしい作品と評された。
第二次大戦後も執筆は衰えず、1952年の『マルジョレーヌの仲間たち』や1955年の『恋のやまい』が成功した。とりわけ人気を集めたのは、気難しい人物を主人公とする1957年の喜劇と、1962年の喜劇推理劇『白痴』(原題の訳)で、後者はアメリカでは舞台と映画『暗闇でドッキリ』(1964年)の原作として知られる。ほかに『暁の決闘』(1947年)や『たそがれの女心』(1953年)などが映画の原作として挙げられる。1959年にアカデミー・フランセーズの会員に選ばれ、同年のカンヌ国際映画祭では審査委員長を務めた。
同じ年に亡くなった人物
- ピーター・リー・ローレンス (1974年没)
- ホルガー・マインス (1974年没)
- サミュエル・ゴールドウィン (1974年没)
- チャールズ・E・ボーレン (1974年没)
- ジョルジュ・ポンピドゥー (1974年没)
同じ地域に関係する人物
- ルイ・クロード・リシャール (1821年没)
- バルバラ (歌手) (1997年没)
- アリス・エーヌ (1925年没)
- シルヴィア・ビーチ (1962年没)
- トマ・ド・マイ・ド・ファヴラ (1790年没)