伝記
ウンム・クルスームは、20世紀のエジプトを代表する歌手・音楽家で、アラブ世界でもっとも有名な歌手とされる。ナイル・デルタの小さな村、タムマーイッザハーイラの貧しい宗教家の家に生まれた。村は当時280世帯ほどの集落であった。生年は1898年末ごろとも1904年5月4日ごろともいわれ、はっきりしない。父は村のモスクで礼拝を導くイマームを務める敬虔な人物で、母は実直な女性であり、真実と人間性と神を信じることの大切さを子どもたちに教えたと本人は語っている。出生名はファーティマといい、10歳年上の姉と1歳違いの兄がいる三人きょうだいの末っ子であった。
父は村の祝い事や結婚式に呼ばれて伝統的な宗教歌を歌い、収入を得ていた。娘の非凡な記憶力と芸術の才に早くから気づき、クルアーンの読誦を教えるとあっという間に覚えてしまった。家業を継がせるために兄に宗教歌を教えていると、傍らで聞いていただけの妹のほうが先に覚えてしまったという。1910年ごろ、6歳くらいのときから村の祝いの席で歌い、これが長い歌手生活の始まりとなった。当時のエジプトでは、歌を職業とすることは卑しいと見なされ、とくに女性が歌うことへの偏見が強かった。そのため娘が年頃になると、父は中傷から守るために、男の子の服を着せて舞台に出した。
村々を回って名を知られるようになり、1923年ごろ、家族とともにカイロへ移り住んだ。当時のカイロは、中東の娯楽産業と大衆文化の一大中心へと成長しつつあった。1920年代後半からの数十年間は、蓄音機、ラジオ、映画といった新しいメディアを通じて、エジプト音楽の黄金時代となる。彼女は、双璧をなすムハンマド・アブドゥルワッハーブとともに、その時代を築いた。カイロでは詩人アフマド・ラーミーに紹介され、ラーミーは後に彼女のために137篇の歌を書いた。リュート奏者で作曲家のエル=カサブジーの紹介で劇場に出演し、最初の公的な成功を得た。貧しい出自への誇りと伝統的な価値の擁護を生涯強調し、自己を律して庶民的なイメージを保ったことが、魅力を高めたとされる。1932年には、ダマスカス、バグダード、ベイルートなどを巡る大規模な演奏旅行ができるほど有名になっていた。
1948年までには、のちにエジプト大統領となるナセルの注意を引くほどになった。愛国主義者であった彼女は、ナセルのアラブ民族主義を強く支持した。カイロから発信される「アラブの声」放送を通じて、その歌声はアラブ世界の隅々まで届いた。毎月最初の木曜日の月例ラジオ・コンサートの時間には、人々が急いで家に帰るため、大都市の通りががら空きになったと伝えられる。1936年から1947年にかけて映画にも出演したが、歌では得られた聴衆との人格的・感情的な結びつきがないとして、俳優の道は断念した。1953年には、尊敬していた医師ハッセン・エル・ハフナウイと結婚した。
1967年にはパリのオランピア劇場で公演し、ド・ゴール大統領から祝電が届いた。「貴婦人」と呼ばれた彼女は、この年、重い腎炎の危機に見舞われた。1972年にナイルの宮殿で最後のコンサートを開いたが、その時点で病は手術できないとされていた。1975年にエジプトへ戻ると健康が悪化して入院し、2月3日、カイロの病院で亡くなった。葬儀には400万人を超える人々が参列し、棺が群衆の手に落ちかけるほどの大混乱になったという。
同じ年に亡くなった人物
- Niginho (1975年没)
- ケイ・ジョンソン (1975年没)
- Pyotr Novikov (1975年没)
- Erzsebet Schaar (1975年没)
- ウラジーミル・クーツ (1975年没)
同じ地域に関係する人物
- al-Mansur Muhammad (1398年没)
- オマル・シャリーフ (2015年没)
- ファリダ (エジプト王妃) (1988年没)
- バドル・アル=ジャマーリ (1094年没)
- フェリックス・エブエ (1944年没)