伝記
ルキノ・ヴィスコンティは、1906年11月2日にイタリア王国のミラノで生まれた映画監督、脚本家、舞台演出家であり、モドローネ伯爵の称号を持つ貴族でもあった。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族であるモドローネ公爵である。14世紀に建てられた城で、幼いころから芸術に親しんで育った。ミラノとコモの私立学校で学んだのち、1926年から1928年まで軍隊生活を送り、退役後の1928年からは舞台俳優兼セット・デザイナーとして働き始めた。1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、そのアシスタントとして映画製作に携わった。
1943年、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督としてデビューした。原作の使用許可を得ていなかったため、原題は「妄執」を意味する題となっている。この作品は現在、ネオレアリズモ運動の先駆的作品と称されることもあり、ヴィスコンティはロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカらとともに、ネオレアリズモの主翼を担う存在として知られるようになった。その後の数年間は舞台やオペラの演出に専心した。第二次世界大戦中にはイタリア共産党に入党し、女優マリア・テレスの助けを借りて、自宅にパルチザンをかくまった。1948年に南イタリアの貧しい漁師たちを描いた『揺れる大地』を発表して6年ぶりに映画監督に復帰し、同作は第9回ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受けた。『ベリッシマ』『夏の嵐』のあと、1957年にはドストエフスキーの同名小説を映画化した『白夜』で、第18回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受けた。この頃にイタリア共産党を離党している。
1960年にアラン・ドロンらを起用して、ネオレアリズモの集大成的な大作『若者のすべて』を発表し、第21回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受けた。ネオレアリズモが下火になると、自らの出自でもある貴族の没落や芸術家を描く、重厚で耽美的な作風に傾いた。1963年にバート・ランカスターを主演に迎えた『山猫』は第16回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受け、1965年の『熊座の淡き星影』は第26回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受けた。1967年にはカミュの小説を映画化した『異邦人』を発表している。
1969年の『地獄に堕ちた勇者ども』は、ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落を描き、三島由紀夫に激賞された。1971年にはトーマス・マンの小説を原作とする『ベニスに死す』を発表し、第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受けた。原作では作家である主人公をヴィスコンティは作曲家に変えており、作品はマーラーの交響曲第5番のアダージェットを一躍有名にした。1972年の『ルートヴィヒ』の撮影中には病に倒れたが、過酷なリハビリをこなして完成させた。ただし左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活となった。この3作は「ドイツ三部作」と呼ばれる。1974年の『家族の肖像』では、ランカスターが演じた孤独な老教授がヴィスコンティ自身を投影した人物とされる。1976年には『イノセント』を発表し、貴族映画の傑作として高く評価された。同年3月17日、ローマで69歳で死去した。常に周囲から「マエストロ」ではなく「伯爵」と呼ばれる、貴族的な人物だったという。
同じ年に亡くなった人物
- E・H・シェパード (1976年没)
- Camilo Ponce Enriquez (1976年没)
- Harry Wyld (1976年没)
- ノーマン・フォスター (映画監督) (1976年没)
- ジョン・クラーク・スレイター (1976年没)
同じ地域に関係する人物
- ジャコモ・ボニ (1925年没)
- ルイージ・エイナウディ (1961年没)
- アイリアノス (230年代没)
- マリオ・モニチェリ (2010年没)
- ケレスティヌス1世 (ローマ教皇) (432年没)