伝記
カール・ピーター・ヘンリク・ダムは、1895年2月21日にデンマークのコペンハーゲンで生まれた生化学者・生理学者である。父は薬剤師で、歴史書や伝記の著作もあり、母は教師であった。
1920年にコペンハーゲン工科大学(現在のデンマーク工科大学)を卒業して化学の学位を得た。その後、農業獣医大学の化学の助手に任じられ、1923年にはコペンハーゲン大学の生理学研究所で生化学の講師の地位に就いた。1925年にはグラーツ大学のフリッツ・プレーグルのもとで微量化学を学んだが、コペンハーゲン大学へ戻り、1928年に生化学研究所の助教授となり、1929年にはコペンハーゲン大学の准教授に就いた。大学に在籍するあいだ、しばらく外国で研究に従事した時期もあった。1934年には、ステロールの生物学的な意義に関する研究を学位論文にまとめて提出し、生化学の博士号を得ている。
ダムを有名にしたのは、ニワトリを使った実験である。彼は最初に、カナダのオンタリオ農業大学の研究者たちが報告した実験を再現した。その研究者たちは、飼料からクロロホルムで脂肪をすべて除いたところ、脂肪のない飼料だけを与えられたヒナに出血が起こり、印をつけた部位から血が出はじめることに気づいていた。ダムは、精製したコレステロールを飼料に加えても、この欠陥は回復しないことを突き止めた。コレステロールとともに、第二の化合物が飼料から取り除かれてしまったように見え、それは「凝固ビタミン」と名づけられた。ニワトリは数週間で出血を抑えられなくなったという。血液の凝固が遅れる原因は、フィブリノゲンやカルシウム、トロンボプラスチンの不足ではなく、プロトロンビンの量が低いことだと示した。さらに、血液の凝固に必要な脂溶性の物質を探して、植物の緑の葉の中にそれを見つけ、ビタミンKと呼んだ。この名は、最初の成果をドイツの雑誌に発表した際、凝固を意味するドイツ語のコアグラチオンの頭文字から付けられたものである。
この功績により、ダムはビタミンKの発見と人体における働きの解明を理由に、エドワード・アダルバート・ドイジーとともに、1943年度のノーベル生理学・医学賞を受けた。1942年から1945年にかけてはアメリカで研究に従事し、受賞はこの滞在中のことであった。滞在先はロックフェラー医学研究所ともロチェスター大学ともいわれる。1946年からはデンマーク工科大学の生化学科教授を務めた。1951年には、第1回リンダウ・ノーベル賞受賞者会議に出席した7人のノーベル賞受賞者の一人となった。
1976年4月にコペンハーゲンで亡くなった。没日は4月17日とも12日ともいわれる。
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