伝記
シャルル・ボワイエは、1899年8月28日、フランス南西部ロット県のフィジャックで、商人のモーリス・ボワイエと妻オーギュスティーヌ・デュランの子として生まれた俳優である。内気な田舎町の少年だったが、11歳のときに映画と演劇を知った。第一次世界大戦中は病院の看護兵として働くかたわら、兵士たちのために寸劇を演じた。ソルボンヌ大学で哲学を学んだあと、パリ音楽院で演劇を学ぼうと機会を待っていたが、首都に出てからは、教育を終えることよりも、舞台で身を立てることに多くの時間を費やした。
1920年、その記憶力の速さが幸いして、上演中の舞台『ムルシアの庭で』で主演俳優の代役を務める機会を得て、成功を収めた。続けて出演した『戦い』で一夜にして舞台の人気者となった。同じ1920年にマルセル・レルビエ監督の『沖の男』で映画に初出演し、その後も数本のフランス映画に出た。初めのうちは、金のために映画の役を引き受けたにすぎず、脇役に不満を覚えていた。しかし、トーキーの時代に入って、その深い声がロマンチックなスターへの道を開いた。数年間は舞台に専念し、1928年から再び映画に戻った。
1931年にはハリウッドに呼ばれ、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社が製作するフランス語版の映画に出た。パラマウント社の映画では、初めて英語の役を演じた。その後フランスに戻って数本の主演作に出たのち、1934年にフォックス社の映画に出るため再びハリウッドへ渡り、同年、フリッツ・ラング監督の『リリオム』で初の古典的な作品を残した。ハリウッドではイギリス人女優のパット・パターソンと結婚し、妻とともに暮らした。1935年には製作者ウォルター・ウェンジャーと5年契約を結び、キャサリン・ヘップバーンやロレッタ・ヤングらと共演した。1936年、ダニエル・ダリューと共演した『うたかたの恋』でオーストリア皇太子ルドルフを演じ、国際的なスターとなった。同年にはマレーネ・ディートリヒと『アラーの園』にも出演した。
1937年にはグレタ・ガルボと共演した『征服』でナポレオンを演じた。1938年には、ジャン・ギャバン主演のフランス映画を英語で作り直した『アルジェ』で、逃亡中の泥棒ペペ・ル・モコを演じて、代表作とした。作中で共演のヘディ・ラマーに向けて「カスバへおいで」と言う場面はないが、予告編にその台詞があったため、その後も長く彼の台詞として語られた。ハリウッドの映画で4度アカデミー主演男優賞にノミネートされ、特にイングリッド・バーグマンと共演した『ガス燈』は有名である。1942年にアメリカの市民権を取り、アカデミー賞特別賞を受けた。1920年から1976年まで80本を超える映画に出演した。
1965年に、一人息子が21歳で自殺した。妻パターソンが癌で亡くなると、その2日後に大量の睡眠薬を飲んで自殺を図り、1978年8月26日に亡くなった。
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