伝記
ミカ・トイミ・ワルタリは、1908年9月19日にヘルシンキで生まれたフィンランドの作家で、ミッカ・ワルタリとも表記される。歴史小説『エジプト人』でよく知られる。父はルター派の宣教師で、ワルタリが5歳のときに亡くなった。子供のころにフィンランド内戦を目撃している。母の希望でヘルシンキ大学の神学部に進んだが、まもなく神学を捨てて哲学、美学、文学を専攻し、1929年に卒業した。
学生時代から詩や物語を書いてさまざまな雑誌に投稿しており、最初の小説は1925年に刊行された。1927年にパリへ行き、ボヘミアンの生活を描いた長編第1作を書いた。これはアメリカの作家たちの「失われた世代」の作品のフィンランド版にあたるといわれる。しばらく自由主義の文学運動に加わったが、政治的、社会的な見方はしだいに右へ傾いていった。1931年に結婚してひとり娘サトゥを授かり、サトゥものちに小説の道に進んだ。1930年代から1940年代を通して、ジャーナリストや批評家として何かにとりつかれたように働き、新聞や雑誌に書くかたわら、取材のためヨーロッパ中を訪れた。ジャンルの枠を軽々とまたいで、数多くの作品を発表している。
激しい仕事ぶりから不眠症とうつ病に苦しみ、アルコール依存が進んで、しばしば入院が必要になるほどだった。自作の質を批評家に実証しようという意図もあり、文学の公募賞に筆名で積極的に投稿して、しばしば入賞した。歴史小説の作家として知られるが推理小説も書いており、公募展に出した作品の一つが手応えを得たことから、1940年にヘルシンキ警察のパルム警部が誕生した。いささかぶっきら棒で無愛想なこの人物は3作に登場し、映画化もされている。冬戦争と継続戦争のあいだはフィンランド政府の情報本部で働き、その文才を政治キャンペーンにも役立てた。
1945年に長編歴史小説『エジプト人』を出版すると、これは現在も読み継がれるフィンランドのベストセラーとなった。人道主義的な価値観が唯物論へ堕落していくというテーマは、第二次世界大戦の余韻を漂わせ、本作はまもなく世界的なベストセラーとなり、1954年にはハリウッド映画の原作にもなった。戦後はさまざまな古代文明に取材した長編歴史小説を7本書き、中でもビザンチン帝国を舞台にした作品が最も成功したといわれる。ローマ帝国を主題にした2作には、キリスト教の信仰に対するペシミズムが色濃く反映されている。
ワルタリはフィンランドで最も執筆量の多い作家の一人で、長編小説29作、中編小説15作、短編集と妖精物語の計6冊、戯曲26本のほか、映画とラジオドラマの脚本、ノンフィクション、翻訳、書評やコラム数百本を残した。30か国語に翻訳され、フィンランド人作家として最も国際的に知られる。作品や脚本をもとに33本の映画が製作された。1952年にフィンランディア勲章を授与され、1970年にはトゥルク大学の名誉博士号を受けた。小惑星の一つにワルタリの名が、別の一つに作中のシヌヘの名が献じられている。1979年8月26日に死去した。遺された大量の未発表原稿は、さまざまな筆名で書かれており、ミカ・ワルタリ協会によって整理と出版が続けられている。
同じ年に亡くなった人物
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