HISTORICAL PERSON · 1980年没

ロラン・バルト

フランスの哲学者・記号学者・批評家。コレージュ・ド・フランス教授を務め、『モードの体系』や『物語の構造分析』などを著した。

生涯
1980年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(シェルブール)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ロラン・バルトは、1915年11月12日、フランスのシェルブールに生まれ、バイヨンヌで育った哲学者、記号学者、批評家である。幼くして父を亡くし、女手一つで育てられたため、非常に母親思いだったという。パリ大学で古典ギリシア文学を学んだあと、結核のために長期間を療養所で過ごした。療養を終えてからは、各地でフランス語の講師として働きながら思索を重ねた。

1953年に発表した『零度のエクリチュール』は、文学と社会の関係を鋭く分析した作品で、これにより一躍、時代の寵児となった。ソシュールやサルトルの影響を受け、エクリチュールについて独自の立場を築いた。歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、フランスのさまざまな文化や慣習を分析した『神話作用』、衣服などの流行を論じた『モードの体系』、バルザックの中編を過剰なまでに詳細に分析した『S/Z』、自伝の形をとりながら自伝ではない『彼自身によるロラン・バルト』など、その活動は幅広い。一貫しているのは、文学への愛と、作者が発信するメッセージを受け取る享受者の解釈の可能性についての考察である。1970年には、日本について独自の分析をした『表徴の帝国』も発表した。招いたのは日仏学院の院長を務めていた親友のモーリス・パンゲで、バルトは来日してこの本の着想を得たという。

もっとも頻繁に議論される仕事が、『物語の構造分析』に収録された「作者の死」である。私たちは作品を鑑賞するとき、その説明を作者に求めがちで、ボードレールの作品は彼の挫折、ゴッホの作品は彼の狂気だと考える。バルトはこの発想を「打ち明け話である」として批判した。作品はさまざまなものが引用された織物のようなものであり、それを解くのは読者だとして、受動的なイメージしかなかった受信者の創造的な側面を強調したのである。『テクストの快楽』でも、この概念について論じている。

1962年から高等研究実習院の指導教授を務め、1977年にコレージュ・ド・フランスの教授に就任した。構造主義者と見なされることを嫌い、常に変容していった思想家だった。生涯、小説を発表することはなかったが、コレージュ・ド・フランスの講義『小説の準備』などが示すように、小説を書くことへの希求は常にあったと考えられる。遺作の『明るい部屋』では、写真への関心を、教養文化を通して感じられる「ストゥディウム」と、それをかき乱して印象に残る細部としてあらわれる「プンクトゥム」という二つの概念で論じた。1979年の映画『ブロンテ姉妹』には、作家サッカレー役で出演しているが、台詞はほとんどない。1980年2月25日に交通事故にあい、1か月後の3月26日に亡くなった。

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