HISTORICAL PERSON · 1982年没

カール・オルフ

ドイツの作曲家。自作の音楽劇を「世界劇」と呼んだ。ミュンヘン音楽・演劇大学で学び、リヒャルト・シュトラウスらの影響を受けた。

生涯
1982年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バイエルン州 / ミュンヘン)
出生地
ドイツ連邦共和国(ミュンヘン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バイエルン州)

伝記

カール・オルフは、1895年7月10日にミュンヘンで生まれ、1982年3月29日に同じ町で亡くなったドイツの作曲家である。自分の音楽劇を「世界劇」と呼んでいた。軍人の家系に生まれたが、家族は早くから秀でた彼の音楽の才能を伸ばすことに協力した。のちに公立学校を中退し、ミュンヘン音楽・演劇大学で学んだ。初期の作曲は、歌や管弦楽、音楽劇の試みなど、リヒャルト・シュトラウスをはじめとする身近な環境に影響を受けた。

1915年から1919年までは戦役のために短い中断があったが、ミュンヘン室内楽団や、マンハイム、ダルムシュタットの劇場で指揮や合唱の指導をした。1920年には、ドイツ・バロック音楽の復興に大きく寄与した作曲家ハインリヒ・カミンスキに師事した。1920年代に舞踏教師と出会い、彼女とともに、1923年にミュンヘンで体育・音楽・舞踏を教えるギュンター学校を設立し、1925年から1936年まで音楽を教えた。クルト・ザックスの提案でモンテヴェルディの劇作品を発見し、オルフがモンテヴェルディの『オルフォイス』を編曲した舞台(1925年、マンハイムで初演)は好評を博し、ドイツ語でのモンテヴェルディの上演を復活させた。オルフは、モンテヴェルディの作品を通じて、自らの音楽言語と音楽劇を特徴づけることになった。

オルフは、フーガやソナタといった純音楽を書くことは不可能だと考えた。そうした形式の可能性は、18、9世紀にすべて使い果たされ、劇場音楽こそ未開拓の世界だというのである。そのころもっとも興味をもって研究したのは、スイスの教育者エミール・ジャック=ダルクローズが提唱したリトミックの理論であり、ヒンデミットの提唱した実用音楽の理論にも大きな影響を受けた。リトミックと実用音楽の考えを用いた教育用の作品を書きはじめ、1930年ごろの「教育音楽」は、1950年から1954年にかけて、門下のグニルト・ケートマンの協力のもとで全面改訂され、『ムジカ・ポエティカ』にまとめられた。初歩レベルの子供たちが、容易に、楽しく演奏できるため、世界中の教育現場で利用されている。

バイエルン州の修道院の蔵書から、19世紀初頭に、11世紀から13世紀ごろに作られた詩歌集が見つかり、「カルミナ・ブラーナ」と名づけられた。恋の歌や酒の歌、社会への怒りや愚痴などの世俗的な内容である。1934年にその約300篇を目にしたオルフは、強く創作意欲を刺激され、24篇を選んで大規模な世俗カンタータを作曲した。1937年6月8日、フランクフルトの市立劇場で初演されたカンタータ『カルミナ・ブラーナ』は大成功を収め、ドイツの各都市で上演された。第二次世界大戦でドイツと他国との文化交流が断たれたため、国外で名が知られるのは遅く、国際的に知られるようになったのは、レコード化された1954年、59歳ごろである。成功によって自信を得たオルフは、出版社に宛てた手紙で、これまでの作品をすべて破棄してほしい、『カルミナ・ブラーナ』こそ本当の出発点だと記した。

作品は、和声、旋律、リズムのすべてが単純で明快、力強く、打楽器への執着は原始的な野蛮さを感じさせる。舞台作品では、古い題材のお伽噺や伝説を好んで取り上げ、そこには時間的な要素が消え、活力だけが残されるのだと述べた。1913年のオペラ『犠牲』は、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の寺子屋の段を素材とした最初のオペラである。1973年には、世界の終末についての考察とも言える『時の終わりの劇』が、カラヤン指揮でザルツブルクで初演された。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物