伝記
アーヴィング・ゴッフマンは、1922年6月11日、カナダのアルバータ州マンヴィルで、ウクライナ系ユダヤ人の家に生まれた社会学者である。両親はマックスとアンで、世紀の変わり目にカナダへ移民していた。姉のフランシスは、のちに女優となる。一家は、父が裁縫の事業で成功したマニトバ州ドーフィンに移った。ゴッフマンはドーフィンの高校を卒業した1939年に、マニトバ大学で化学を学び始めたが、1943年に関心が変わってトロントに移り、カナダ国立映画制作庁で働いた。そこで社会学者のデニス・ロングと出会い、学業に戻るよう励まされて、トロント大学で社会学を学び、1945年に卒業した。
1949年にシカゴ大学で修士号を取得し、同大学の社会学科でエヴェレット・ヒューズやハーバート・ブルーマーの影響を受けた。1949年から1951年にかけては、エディンバラ大学の社会人類学科に属して、シェトランド諸島のフィールドワークに従事した。遠く離れた島で、住民と訪問者の社会的相互作用を調べたことが博士論文になり、1953年にシカゴ大学から博士号を得た。この研究は、のちに『行為と演技』(原題は『日常生活における自己呈示』)としてまとめられ、ゴッフマンの思想の土台となった。1952年にアンジェリカ・チョートと結婚し、1953年に息子トーマスが生まれたが、妻は精神の病を患い、1964年に自ら命を絶った。
1954年から1957年は国立精神衛生研究所の客員研究員をつとめ、1955年から1956年にはワシントンの聖エリザベス病院で参与観察を行った。1958年にカリフォルニア大学バークレー校の社会学科に加わり、1962年に教授となる。『行為と演技』の改訂増補版は、1961年に社会学の最優秀書とされる賞を受け、彼の名を高めた。同年の『アサイラム』は、施設としての精神病院を研究対象とし、精神医療の改善運動に大きな影響を与えた。参与観察は、かつてサリヴァンが働いた病院で行われた。1963年には『スティグマの社会学』を著した。1966年から1967年はハーバード大学国際問題研究所の特別研究員をつとめ、1968年にペンシルベニア大学の教授になった。
ゴッフマンは、日常生活の人々の社会的相互作用を解き明かす方法として、ドラマツルギーを社会学で初めて提唱したとされる。複数の自己が行為者に属する特性ではなく、社会的なパターンに帰属するものであり、社会的な配置によってつくられる自己が、提示の過程の結果にすぎないことを明らかにしようとした。研究は社会学のほか、言語学や文化人類学にも利用された。株式市場や賭け事にも関心が深く、ラスベガスのカジノで働いたこともある。1981年にはギリアン・サンコフと再婚し、翌年に娘アリスが生まれた。1982年にアメリカ社会学会の会長に就いた同年、フィラデルフィアで11月19日か20日に胃癌のため亡くなった。60歳だった。
同じ年に亡くなった人物
- ロミー・シュナイダー (1982年没)
- ジョン・ガードナー (アメリカ合衆国の小説家) (1982年没)
- マハーシ・サヤドー (1982年没)
- ミハイル・スースロフ (1982年没)
- ヒューゴ・テオレル (1982年没)
同じ地域に関係する人物
- マーク・クリフトン (1963年没)
- ジョニー・トムソン (1960年没)
- リチャード・アレン (1831年没)
- ジャレド・インガソル (1822年没)
- アルバート・シャッツ (2005年没)