HISTORICAL PERSON · 1984年没

ポール・ディラック

イギリスの理論物理学者。量子力学と量子電磁気学に貢献し、1933年にシュレーディンガーと共にノーベル物理学賞を受賞、ケンブリッジ大学のルーカス教授も務めた。

生涯
1984年没
死亡地
アメリカ合衆国(フロリダ州 / タラハシー)
出生地
イギリス連邦(ブリストル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(フロリダ州)

伝記

ポール・エイドリアン・モーリス・ディラックは、1902年8月8日にイギリスのブリストルで生まれ、1984年10月20日に没した理論物理学者である。量子力学と量子電磁気学の分野で多くの貢献をし、1933年にエルヴィン・シュレーディンガーとともにノーベル物理学賞を受賞した。1932年からケンブリッジ大学のルーカス教授職を務め、最後の14年間はフロリダ州立大学の教授として過ごした。

スイス移民の父チャールズ・ディラックと、イギリス人の母フローレンス・ホールトンの間に生まれた。2歳上の兄フェリックスと4歳下の妹ベティーがおり、兄は1924年に自ら命を絶っている。フランス語教師だった父は、彼とフランス語だけで話す規則をつくった。しかし、フランス語で話すことができなかったため、英語で話すよりも沈黙するほうが楽で、そのときから非常に無口になったと、本人は回想している。第一次世界大戦が始まった1914年に、父が教えていた学校に入学し、歴史とドイツ語を除いて、ほとんどいつも首席だった。1918年に16歳でマーチャント・ヴェンチャラーズ・カレッジに入学して工学を学んだ。講座は理論より実用を重視しており、数学では他の学生のはるか上を行ったが、実験室の作業は不器用だったという。1921年にブリストル大学に進み、電気工学と数学を学んだ。翌年ケンブリッジ大学に入学し、ラルフ・ファウラーが指導教官となり、「量子力学」と題した論文で1926年5月に博士号を得た。

物理学では、ハイゼンベルクによる量子力学の定式化を受け、1925年に、量子力学での力学変数の交換子と、古典力学でのポアソン括弧との類似性を見出した。1926年には、シュレーディンガーの波動力学と行列力学の等価性を、シュレーディンガーとは独立に証明した。フェルミと独立に、パウリの排他律を満たす粒子の統計力学を考察し、これが現在フェルミ=ディラック統計と呼ばれる。1928年に電子の相対論的な量子力学を記述するディラック方程式を考案した。この方程式から導かれる電子の負のエネルギー状態について、「ディラックの海」と呼ばれる解釈を提案し、反粒子の存在を予言した。陽電子は1932年にアンダーソンが実験で発見し、予言が実証された。ブラ‐ケット記法で量子力学の洞察を記した著書『量子力学』は名著として知られ、ファインマンはこれにヒントを得て経路積分を考案した。

極めて寡黙で、知人の顔を見分けられなかったり、単純な質問が理解できなかったりすることがあったという。「今日は雨模様だね」と話しかけられると、窓辺まで歩いていき、席に戻って「今は降っていませんよ」と素気なく言ったという逸話がある。ケンブリッジの同僚は冗談で「ディラック」という単位を作り、それは「1時間につき1単語」だった。哲学者を信用せず、量子力学を説明してくれと言う家族や友人には、「無理です」と言って黙り込むのが常だった。

女性に興味がなく生涯独身だろうと思われていたが、1937年にユージン・ウィグナーの妹マーギットと結婚した。マーギットは前夫との間に二人の子がいて、ディラックとの間にも二人の娘が生まれた。有名になることを極度に避け、ノーベル賞の受賞を辞退しようとしたが、ラザフォードに「断ればもっと有名になる」と説得されて受けたと伝えられる。1930年に王立協会フェローに選出された。1984年にフロリダ州タラハシーで亡くなり、地元の墓地に埋葬された。その名を記念して、ディラック賞が1985年に設立された。

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