HISTORICAL PERSON · 1985年没

ロバート・グレーヴス

イギリスの詩人・小説家。第一次大戦に従軍して重傷を負い、戦後は反戦詩人として活動した。自叙伝に『さらば古きものよ』がある。

生涯
1985年没
死亡地
スペイン王国(バレアレス諸島 / デイア)
出生地
イギリス連邦(ウィンブルドン)
出典
世界地図
スペイン王国(バレアレス諸島)

伝記

ロバート・グレーヴスは、1895年7月24日に生まれ、1985年12月7日に没したイギリスの詩人、小説家、評論家である。グレーヴズ、グレイヴズと表記されることもある。生涯に140を超える作品を著し、詩、翻訳、ギリシア神話の独創的な分析、第一次世界大戦での体験を含む自伝『さらば古きものよ』(1929年)、詩的霊感を論じた『白い女神』(1948年)は、絶版になることなく読み継がれている。

父アルフレッドはダブリン生まれのアングロ=アイリッシュ系の詩人で、数学者であり、オガム文字の権威でもあった。「フォン・ランケ」は牧師をしていたドイツ系の母方の姓で、叔父に歴史家のレオポルト・フォン・ランケがいる。ロンドン南西の郊外ウィンブルドンで、上流中産階級の家に生まれた。10人の子供の8番目だったとされる。7歳のとき、麻疹に続く肺炎で命を落としかけ、肺の病気で医者が見放したのは、生涯で3度あったという。1909年に奨学金を得てロンドンのチャーターハウス・スクールに入り、そこで詩作を始め、ボクシングにも取り組んで、校内の王者になった。ドイツ風の名前で迫害されたことへの反応だと、本人は語っている。

1914年に学校を卒業し、オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジへの入学が決まっていたが、イギリスがドイツに宣戦布告した2日後に従軍を志願してフランスに出征した。『さらば古きものよ』によれば、大学に入るのを先延ばししたかったことと、ドイツがベルギーの中立を犯したことへの憤りが動機だという。1916年に最初の詩集を出し、戦場の体験を写実的に書いた最初期の詩人として、戦争詩人の評判を得た。同年7月20日、砲弾の破片で重傷を負い、イギリスの留守宅には戦友から「名誉ある戦死」と報告されたが、一命を取り留めた。1917年1月に自ら望んで戦場に復帰したものの、また倒れて本国に送還され、後方勤務となった。

1918年1月にナンシー・ニコルソンと結婚した。この年11月に第一次世界大戦が終わると、サスーンとともに反戦詩人として活動を始め、ロバート・ニコルズを加えた3人は「新しい三銃士」と呼ばれた。1919年10月にオックスフォード大学に入学し、1926年に卒業するまでの7年間に、12冊の詩集と5冊の詩論を発表した。1926年には、アーノルド・ベネットとロレンスの推薦でカイロ大学の英文学教授となったが、翌年辞任して帰国した。このころには妻との関係が悪化しており、1929年5月に離婚して、二度とイギリスに戻らない覚悟で、地中海西部のマヨルカ島に移り住んだ。この地でアメリカの女流詩人ローラ・ライディングと親交を結び、共同で出版業を営み、共著も発表した。

1934年の『この私、クラウディウス』など、歴史小説の人気作で生計を立て、ラテン語とギリシア語の古典の翻訳でも知られた。続編の『神、クラウディウスとその妻メッサリーナ』とあわせ、1934年のジェームズ・テイト・ブラック記念賞を受けた。1936年にスペイン内戦の影響で、イギリス人のマヨルカ島退去を命じられ、3年間をヨーロッパとアメリカで放浪した。第二次世界大戦が勃発するとイギリスに帰国して歩兵部隊に志願したが、軍当局からは後方勤務を命じられた。戦後は再びマヨルカ島に戻って永住し、詩が認められ始めたのはこのころからである。1955年に『ギリシア神話』を著し、これは神話研究の代表作となった。1954年に王立人類学協会の特別会員に選ばれ、1961年2月から1966年まで、オックスフォード大学の詩学教授を務めた。

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