伝記
ルース・ゴードンは、1896年10月30日に生まれ、1985年8月28日に没したアメリカ合衆国の女優である。本名はルース・ゴードン・ジョーンズで、劇作家、脚本家、小説家としても活動し、キャリアは7つの年代にわたった。特徴的な鼻にかかった声と個性で知られ、70代、80代になっても映画の役で国際的な評価を得た。
マサチューセッツ州クインシーのウォラストン地区に、父クリントン・ジョーンズと母アニー・タプリーの子として生まれた。赤ん坊のとき、父の勤め先の乳幼児用食品の広告に写真が使われたのが、初めて世間に出た機会だったという。高校を卒業する前に、好きな女優たちにサインつきの写真を求める手紙を書き、ヘーゼル・ドーンから個人的な返事をもらったことで、女優を志した。父は難しい職業での成功を疑ったが、1914年に娘をニューヨークへ連れて行き、アメリカ演劇アカデミーに入学させた。
1915年、ニュージャージー州フォート・リーで撮影されたサイレント映画にエキストラとして出演し、同年には『ピーター・パン』のニブス役でブロードウェイ・デビューを果たした。舞台ではモード・アダムスと共演し、有力な批評家アレクサンダー・ウールコットから好意的に評されて、彼は友人であり、助言者となった。1918年にブロードウェイ版『セブンティーン』でグレゴリー・ケリーの相手役を務め、1921年に結婚した。しかし1927年にケリーは心臓病で35歳で亡くなった。このころ、長く「美しいが愚かな」役柄に型にはめられていたのを脱して、復活を果たしていた。1929年には、人気舞台『セレナ・ブランディッシュ』に主演中、制作者のジェド・ハリスの子を身ごもり、息子ジョーンズをパリで産んだ。
1930年代にも舞台で活動を続け、『イーサン・フローム』などで話題を呼んだ。映画では、1941年のグレタ・ガルボ最後の作品『奥様は顔が二つ』に脇役で出演し、1940年代初めには、『エイブ・リンカーン』でメアリー・トッド・リンカーン役を演じるなど、助演の役を重ねた。1942年に、脚本家で映画監督のガーソン・ケニンと再婚し、ともにキャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーの主演映画『アダム氏とマダム』(1949年)と『パットとマイク』(1952年)の脚本を共作した。『二重生活』(1947年)も含め、この3作でアカデミー脚本賞にノミネートされた。約30年間は映画よりも舞台が活動の中心だった。
1955年、ソーントン・ワイルダーの戯曲を原作とする舞台で、世話好きで愛想の良いドリー・リーヴァイ役を演じ、好演と評されて、女優としての再評価の端緒となった。1965年にスクリーンに復帰した『サンセット物語』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、以後は「一風変わった老婦」が適役といわれるようになった。1968年のロマン・ポランスキー監督のオカルト・スリラー『ローズマリーの赤ちゃん』では、主人公夫婦が越したアパートの隣人を不気味に演じ、アカデミー助演女優賞を受賞した。1971年の『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』では、80歳で、60歳以上年の離れた青年と恋に落ちる闊達で魅力的な老女を、若々しく演じた。
そのほか、テレビドラマ『刑事コロンボ』の「死者のメッセージ」では、犯人の女流作家アビゲイル・ミッチェルを可愛らしく演じ、コロンボ警部と推理合戦を見せた。クリント・イーストウッドの『ダーティファイター』シリーズや、『マキシー 素敵な幽霊』などにも出演した。1985年、エドガータウンで脳梗塞のため亡くなり、88歳であった。
同じ年に亡くなった人物
- ジョージ・ロンドン (バス・バリトン歌手) (1985年没)
- ポール・カステラーノ (1985年没)
- アーネスト・ナーゲル (1985年没)
- イアン・スチュワート (ミュージシャン) (1985年没)
- 金容植 (1985年没)
同じ地域に関係する人物
- ハル・クレメント (2003年没)
- ミルドレッド・ウィリー (2000年没)
- アビゲイル・アダムズ (1818年没)
- アーロン・ヘルナンデス (2017年没)
- フレッド・ホイップル (2004年没)