伝記
ウォルター・ハウザー・ブラッテンは、1902年2月10日に中国福建省のアモイで、アメリカ人の両親ロス・R・ブラッテンとオッティリー・ハウザーの間に生まれたアメリカの物理学者である。父はスコットランド系で、中国人の少年のための私立学校で教師をしていた。母はドイツのシュトゥットガルトからの移民の娘で、数学の才能に恵まれていた。二人ともホイットマン・カレッジの卒業生である。母と赤ん坊のウォルターは1903年にアメリカへ戻り、父もほどなく続いた。一家はワシントン州スポケーンで数年を過ごし、1911年に同州トナスケット近くの牧場に落ち着いた。ブラッテンは、ワシントン州の高校をいくつか渡り歩き、1年間は少年の学校にも通った。
ホイットマン・カレッジに進み、物理学と数学を専攻して、1924年に学士号を取得した。同級生のウォーカー・ブリークニーら3人とともに、のちに優れた経歴を重ね、「物理学の四騎士」と呼ばれた。ホイットマンに続いて進んだ弟のロバートも物理学者となった。1926年にオレゴン大学で修士号を取り、1929年にミネソタ大学で博士号を取った。ミネソタでは、ジョン・ヴァン・ヴレックのもとで、量子力学という新しい分野を学ぶ機会を得た。1928年から1929年にはワシントンの規格局で、圧電式の周波数標準の開発に携わった。1929年8月にベル電話研究所に移って、ジョゼフ・ベッカーとともに、酸化銅整流器での電荷担体の熱による流れを研究した。この研究の一部は、ゾンマーフェルトの理論に実験的な裏づけを与えた。亜酸化銅とシリコンの半導体表面での整流と光効果の研究を通じて、半導体の自由表面での光効果を発見した。これは、ノーベル委員会が固体物理学への主な貢献の一つとした仕事である。
当時の電話産業は、電子の流れを制御し電流を増幅するために真空管に頼っていたが、真空管は信頼性にも効率にも欠け、ベル研究所は代わりの技術を求めていた。1930年代の早い時期から、ウィリアム・ショックレーと、酸化銅を使った半導体増幅器の構想に取り組んだが、失敗に終わった。第二次世界大戦中は、ショックレーとともに別々に、コロンビア大学の国防研究委員会で、潜水艦を磁気で探知する研究に加わった。ブラッテンの班は、潜水艦が起こす地球磁場の異常を探知できるほど感度の高い磁力計を開発し、1944年に磁力計の探針の設計で特許を取った。
1945年にベル研究所が再編され、通信技術に関わる固体物理学の基礎研究のグループができた。ショックレーともう一人が率い、まもなくジョン・バーディーンが加わった。バーディーンは量子物理学者、ブラッテンは物質科学での優れた実験家、ショックレーは固体物理学の専門家であった。ショックレーが考案した電界効果型の素子は、当時の理論では動作するはずだったが、動かなかった。その理由を調べるよう命じられたブラッテンとバーディーンは、11月から12月にかけて、さまざまな実験を行った。バーディーンは優れた理論家で、ブラッテンは「半導体で何ができるか、直観的な感覚を持っていた」とされる。1948年にショックレーらとトランジスタの開発に成功し、1956年にノーベル物理学賞を受賞した。1952年にスチュアート・バランタイン・メダル、1954年にジョン・スコット・メダル、1956年にリヒトマイヤー記念賞を受けている。1967年にベル研究所を退職し、ホイットマン・カレッジに移り、1972年まで勤めた。1987年10月13日に没した。
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