伝記
リタ・ヘイワースは、1918年10月17日にニューヨーク市ブルックリンで生まれ、1987年5月14日に68歳で没したアメリカ合衆国の女優、ダンサーである。本名はマルガリータ・カルメン・カンシーノ。1940年代にセックスシンボルとして一世を風靡し、「愛の女神」と呼ばれた。第二次世界大戦中は、軍人にとって最大のピンナップ・ガールだった。37年間に61本の映画に出演した。
両親はともにダンサーで、長女として生まれた。父エドゥアルド・カンシーノは、スペインのセビーリャ近郊の出身で、母ヴォルガは、アイルランドとイギリスの血を引くアメリカ人で、ジーグフェルド・フォリーズに出演していたことがある。祖父のアントニオ・カンシーノは、スペインの古典舞踊家として知られ、リタに最初の舞踊の稽古をつけた。のちに本人は、立てるようになるとすぐ踊りのレッスンを受けたと振り返り、「稽古、稽古、稽古、それが私の子ども時代だった」と語った。5歳になる前にブロードウェイの舞台に立ち、8歳のときには短編映画に出ている。1927年に、父が一家でハリウッドへ移った。世界恐慌で家業の舞踊教室は立ちゆかなくなり、1931年、父は12歳の娘と組み、「ザ・ダンシング・カンシーノス」という出し物を作った。年齢が若すぎてカリフォルニア州の法律では酒場で働けなかったため、父は国境を越えたメキシコのティファナへ連れて行った。働いていたので、高校を卒業せず、9年生を終えた。
16歳で映画に出て、ダンサーとして出演した映画でメキシコ出身の女優ドロレス・デル・リオと共演した。ナイトクラブで踊る姿をフォックス映画の社長が見て、すぐに試験を手配し、6か月の短い契約を結んだ。このときの芸名はリタ・カンシーノだった。異国の娘という役ばかりが続き、すぐにフリーに戻って、しばらくしてコロムビアと契約した。契約に際して、スタジオから髪を赤毛に染めるよう申し渡され(地毛は濃い茶色)、生え際の毛を電気針で処理して額を広くする手入れも受けた。2年間ほど端役をこなしたのち、1939年のハワード・ホークス監督の『コンドル』で注目を集めた。『いちごブロンド』『血と砂』、フレッド・アステアと共演した『踊る結婚式』などでスターの座をつかんだ。豊かな赤毛がトレードマークで、テクニカラー作品によく映えた。アステアは彼女を、最も好きな踊りの相手と呼んだ。
最も魅力が発揮された作品は、1946年の『ギルダ』とされる。チャールズ・ヴィダー監督のフィルム・ノワールで、運命の女ギルダを演じ、黒いドレスで歌う場面はよく知られる。1947年には、25万ドルの年俸と、出演映画の収益の50パーセントを受け取る契約をコロムビアと結んだ。私生活では、オーソン・ウェルズやアーガー・ハーン3世の息子など5回の結婚歴があり、2人の娘がいた。1980年に若年性のアルツハイマー病と診断され、1987年に亡くなった。彼女の病気が公に知られ、語られたことは、この病気への関心を高め、公的・私的な資金を集める助けになったとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アブ・サイード・チョードリー (1987年没)
- マルク・ミーチン (1987年没)
- イヴァーン・ムィコライチューク (1987年没)
- ジョーゼフ・ロートン・コリンズ (1987年没)
- アイラ・エーカー (1987年没)
同じ地域に関係する人物
- リチャード・テイラー (将軍) (1879年没)
- パーシー・グレインジャー (1961年没)
- エセル・マーマン (1984年没)
- エルズワース・ケリー (2015年没)
- Margit Slachta (1974年没)