伝記
カール・ランサム・ロジャーズは、1902年1月8日、アメリカ合衆国イリノイ州オークパークに生まれた臨床心理学者である。生まれた家はプロテスタントの宗教的に厳格な家庭だった。来談者中心療法の創始者であり、1982年にアメリカ心理学会が行ったアンケート調査「もっとも影響力のある10人の心理療法家」では、第1位に選ばれた。1919年にウィスコンシン大学に進み、父の農園を継ぐために農学を専攻したが、キリスト教青年会の活動を通じてキリスト教に興味が移り、牧師を目指して、専攻を史学に変えた。ウィスコンシン大学を卒業した2か月後に、妻ヘレンと結婚した。
その後ユニオン神学校に入学したが、牧師を目指す道に疑問を感じるようになった。そこでコロンビア大学教育学部に移って臨床心理学を学び、在学中にニューヨークの児童相談所の研修員になった。卒業後は、ロチェスターの児童虐待防止協会で12年間、臨床に携わった。その中で、従来のカウンセリング理論に疑問を抱き、自らの理論的な枠組みを形づくりはじめた。オハイオ州立大学、シカゴ大学、ウィスコンシン大学で教授職を得て、教育と研究に従事し、非指示的カウンセリングを提唱した。これがのちに来談者中心療法と呼ばれ、さらにパーソンセンタード・アプローチへと発展した。精神分析には否定的だったとされるが、フロイトの高弟のひとりオットー・ランクからの影響を明言していた。
カウンセリングの研究方法として、現在では当然となっている、面接内容の記録と逐語化も、心理相談の対象者を患者ではなく「クライエント」と呼ぶことも、彼が最初である。カウンセリング論の特徴は、人間に対する楽観的な見方にあり、それはフロイトに見られる原罪的な悲観論とは対照をなす。彼によれば、人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっており、成長と可能性の実現は、人間そのものの性質であり、本能である。カウンセリングの使命は、その成長と実現を促す環境をつくることである。自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。カウンセラーは、クライエントを無条件に受容して尊重することで、クライエント自身が自分を受容し、尊重することを促すという。
のちに西部行動科学研究所に移り、人間研究センターを設立して、エンカウンターグループの実践と研究に精力的に取り組んだ。各国の紛争地域でもエンカウンターグループを実施し、世界平和に力を注いだ。その記録映画の一つ『出会いへの道』は、1968年にアカデミー賞の長編記録映画部門で最優秀作品賞を受賞した。著書に『カウンセリングと心理療法』『クライアント中心療法』『人間論』『エンカウンター・グループ』『人間尊重の心理学』などがある。学生時代に1度、その後も2度来日した。1987年2月4日に世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- チャールズ・マリク (1987年没)
- ピーター・メダワー (1987年没)
- オバフェミ・アウォロウォ (1987年没)
- ヤッシャ・ハイフェッツ (1987年没)
- コンスタンディノス・ツァツォス (1987年没)
同じ地域に関係する人物
- シグ・アルノ (1975年没)
- 張愛玲 (1995年没)
- ウィリー・ボボ (1983年没)
- マイケル・チャップマン (2020年没)
- ドナルド・デイヴィッドソン (2003年没)