伝記
フランソワ2世は、1544年1月19日にフォンテーヌブローで生まれた、ヴァロワ朝第11代のフランス国王(在位1559年-1560年)である。父はアンリ2世、母はカトリーヌ・ド・メディシスで、のちに王位を継ぐシャルル9世とアンリ3世の兄にあたる。両親の結婚から11年後に生まれた最初の男子で、のちに9人の同母のきょうだいができた。妹イサベルはスペイン王フェリペ2世に、クロードはロレーヌ公シャルル3世に、マルグリットはのちのアンリ4世に嫁いだ。この間、アンリは妃を差し置いて愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエを重んじたとされ、1537年には別の愛妾が娘を産み、当時王太子だったアンリがこれを認知したことで、跡継ぎができないのは妻の側の問題ではないかという圧力が、カトリーヌにかかっていた。
2月10日にフォンテーヌブローで洗礼を受け、祖父のフランソワ1世が名付け親となって、その場で騎士に叙した。ほかに教皇パウルス3世や大叔母のナバラ王妃マルグリットも名付け親だった。1546年にラングドックの総督となり、1547年に祖父が死ぬと、王太子となった。傅育官はジャン・ド・ユミエール、教師はギリシア学者のピエール・ダネスで、舞踊と剣術も習った。生まれつき耳鼻咽喉の持病があり、耳から膿が出て、口を半開きにすることが多く、アデノイドの症状があったという。
1548年1月27日、シャティヨンの協定で、4歳のフランソワは、生後9か月で戴冠したスコットランド女王のメアリー・ステュアートと婚約した。アンリ2世の治世には、枢機卿となったシャルルと、王の幼なじみで公となったフランソワのギーズ兄弟が台頭していた。メアリーの母は、その妹でスコットランド王ジェームズ5世の妃だったメアリー・オブ・ギーズで、娘に代わって摂政としてスコットランドを治めた。娘のメアリーは6歳でフランス宮廷に送られ、カトリーヌのもとで王の子供たちと育てられた。メアリーは背が高くて話し上手だったが、婚約者のフランソワは並外れて背が低く、吃音があったという。父のアンリは、二人が初めて会った日から旧知のように仲良くなったと語った。1558年4月24日、二人は結婚した。
1559年にアンリ2世が不慮の事故で死ぬと、15歳のフランソワ2世が即位した。法の上では成人とみなされて摂政は不要だったが、若く、政治の経験も乏しく、持病もあったため、大臣たちに母カトリーヌの指示を仰ぐよう命じた。しかしカトリーヌは夫を失った悲しみの中にあり、大臣たちには、王妃の伯父であるギーズ公フランソワの指示を受けるよう伝えた。この結果、ギーズ家が実権を握り、プロテスタントを弾圧した。カトリーヌもこの措置に同意した。短い治世は、フランスの宗教戦争の最初の動きに支配された。スコットランドでは、カトリック側を助けられないまま宗教改革が進み、フランスとの古い同盟は解消された。
1560年の年末近い晩秋、狩猟からの帰りに耳の後ろの鋭い痛みを訴えて倒れ、中耳炎と診断された。侍医は開頭手術を提言したが、カトリーヌはこれを拒み、炎症は脳にまで及んで脳炎を起こし、12月5日、オルレアンで死去した。16歳だった。王位は弟のシャルル9世とアンリ3世が継いだが、ヴァロワ朝はその後、男子が絶えて断絶した。
同じ年に亡くなった人物
- ニコラ・ゴンベール (1560年没)
- ヤン・マンデイン (1560年代没)
- エイミー・ロブサート (1560年)
- ヤン・ワスキ (1560年)
- アンドレア・ドーリア (1560年没)
同じ地域に関係する人物
- マルグリット・ブロクディス (1983年没)
- ジャック・マクドナル (1840年没)
- オーギュスタン・サンティレール (1853年没)
- ジャック・マシュ (2002年没)
- フィリップ・ド・ヴァロワ (オルレアン公) (1376年没)