HISTORICAL PERSON · 1988年没

ロイ・オービソン

アメリカのシンガーソングライター。伸びやかなファルセットとロカビリー調の楽曲で1960年代に成功し、「オー・プリティ・ウーマン」などが代表曲。

生涯
1988年没
死亡地
アメリカ合衆国(テネシー州 / ナッシュヴィル)
出生地
アメリカ合衆国(バーノン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(テネシー州)

伝記

ロイ・ケルトン・オービソンは、1936年4月23日、アメリカ合衆国テキサス州ヴァーノンに生まれたシンガーソングライターである。愛称は「ビッグ・オー」。伸びやかなファルセットが特徴的な歌声と、ロカビリー調の楽曲で、1960年代前半から中盤にかけて大きな成功を収めた。父の手ほどきでギターを覚え、幼いころから地元のラジオやテレビの番組に出演していた。高校時代に結成したバンド、ティーン・キングスでの手腕が、バディ・ホリーのプロデューサーだったノーマン・ペティに見出され、1955年にシングル「ウービィ・ドゥービィ」でデビューした。

1956年から1959年にかけて、サン・レコードとRCAビクターで、エルヴィス・プレスリーの後釜のような存在として活動したが、数枚のシングルは、ヒットに恵まれなかった。1959年にモニュメント・レコードへ移籍すると、運気が好転し、ヒット曲を連発した。1959年から1965年にかけて、全米と全英のトップ10チャートに、それぞれ9曲、10曲のシングルを送り込んだ。「オンリー・ザ・ロンリー」「クライング」「イン・ドリームス」などが続き、なかでも1964年の「オー・プリティ・ウーマン」は、全米・全英のチャートでともに1位となり、全世界で400万枚を売り上げた。1963年には、ブレイクしたばかりのビートルズとのジョイント・ツアーを行い、以後は本国のアメリカ以上にイギリスで人気を集め、後年まで続いた。

しかし、モニュメントを離れてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに在籍した1960年代後半からは、不調が続いた。1966年に妻がオートバイの事故で亡くなり、2年後には火事で息子のうち2人を失うなど、私生活でも大きな悲劇に見舞われた。そうした中でも、1967年には、主演映画が公開された。1969年にバーバラと再婚した。アサイラム・レコードで活動した1970年代も、ヒットには恵まれなかったが、リンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」や、ヴァン・ヘイレンの「オー・プリティ・ウーマン」など、他のアーティストによる過去のヒット曲のカバーが、チャートをにぎわせた。1980年には、エミルー・ハリスとのデュエット曲が、グラミー賞を受賞した。1986年には、デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』で、「イン・ドリームス」が、物語と密接に関わる形で重要に扱われた。

1987年に、ロックの殿堂入りを果たした。同年9月、アンバサダーホテルのクラブ「ココナッツ・グルーヴ」では、エルヴィス・コステロやブルース・スプリングスティーン、トム・ウェイツらとともに演奏した。その模様は、ライヴ・アルバム『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』として発表された。翌1988年には、ジョージ・ハリスンとジェフ・リンによって結成されたバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」に、ボブ・ディラン、トム・ペティとともに参加した。メンバーはそれぞれ変名を名乗り、オービソンは「レフティ・ウィルベリー」と称した。アルバムは大ヒットし、彼は久々に音楽シーンの第一線に戻った。しかしその矢先の1988年12月6日、心筋梗塞のため急逝した。52歳だった。ウエストウッド・メモリアルパークに埋葬された。1989年の遺作『ミステリー・ガール』とシングル「ユー・ゴット・イット」は、久々のヒットとなった。同年にソングライターの殿堂入りも果たした。2010年には、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した。

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