伝記
クリスタ・ペーフゲンは、ニコの名で知られるシンガーソングライターで、女優であり、ファッションモデルでもあった。1988年7月18日に没した。1938年10月16日にドイツのケルンで生まれたとされるが、1943年3月15日にハンガリーのブダペストで生まれたともいわれる。
父ヴィルヘルムはケルンの裕福な醸造家一族の出でカトリック、母マルガレーテは労働者階級の出でプロテスタントだった。ニコ自身が、自らの生い立ちについて、異なる説明をしているともいう。2歳のとき、ケルンの空襲を避けて、母や祖父とベルリン郊外の森に移った。父は戦争の初めに徴兵されたが、いつどのように死んだかについては、諸説がある。1946年に母とベルリンに移り、13歳まで学校に通って、高級百貨店で下着を売るうちに、ベルリンでモデルの仕事を得た。長身で、彫りの深い顔立ちと白い肌が目を引き、10代でファッションモデルとして頭角を現した。
16歳のとき、写真家のヘルベルト・トビアスに見出された。「ニコ」の名は、トビアスが恋した映画監督ニコ・パパタキスの名にちなんで与えたもので、以後生涯その名を使った。パリに移り、『ヴォーグ』や『エル』といったファッション誌のモデルとして活動した。その後、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(1960年)にも端役で出演した。ニューヨークに移り、リー・ストラスバーグのもとで演技を学んだ。1962年8月11日には、俳優アラン・ドロンとの間にできた子とされるクリスチャン・アーロン・ブローニュ、愛称アリを出産した。同年には、ビル・エヴァンスのアルバムのジャケットのモデルを務め、1963年にはジャック・ポワトルノー監督の映画に出演し、セルジュ・ゲンスブールのプロデュースでタイトル曲を録音した。
ニューヨークで知り合ったパパタキスは、歌っている彼女の姿に気づいて、歌手の道を勧めた。1965年にはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの紹介で、イギリスで最初のシングルを出したが、商業的には成功しなかった。ボブ・ディランの紹介でアンディ・ウォーホルと出会い、「ファクトリー」の実験映画に参加した。ウォーホルは、自らプロデュースしていたルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドにニコを参加させ、1967年3月のデビュー・アルバムでは、3曲でニコがリード・ボーカルをとった。しかしウォーホルに押し込まれた形のニコは、他のメンバーに受け入れられず、このアルバムを最後にグループを去った。
1967年に、ボブ・ディランらが曲を提供し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバーも参加した最初のソロ・アルバム『チェルシー・ガール』が発売された。友人のジム・モリソンの勧めで、自分で曲を書くようになり、自ら演奏するハーモニウムの音色が耳に残るアルバムを数枚発表した。ジョン・ケイルは音楽の編曲者となり、『マーブル・インデックス』などをプロデュースした。1974年の『ジ・エンド』を最後に、長い低迷期に入った。1981年の『ドラマ・オブ・エクザイル』は、ゴシック・ロックやニュー・ウェイヴの中で高く評価された。この時期から日本を含む世界各地で活発にライブを行った。
1988年7月、ベルリンでのコンサートの後、息子のアリと休暇で訪れたスペインのイビサ島で、自転車から転倒して頭部を強打し、病院に運ばれた。脳内出血が確認され、数時間後に亡くなった。49歳であった。
同じ年に亡くなった人物
- Janos Nemeth (1988年没)
- クリフォード・D・シマック (1988年没)
- ロバート・リヴイングストン (1988年没)
- ロバート・ダンカン (詩人) (1988年没)
- ダニエル・ゲラン (1988年没)
同じ地域に関係する人物
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- Dietmar Schonherr (2014年没)
- ベルト・ケンプフェルト (1980年没)
- クレメンス8世 (対立教皇) (1446年没)
- ロバート・マイルズ (2017年没)