伝記
クリフォード・ドナルド・シマックは、1904年8月3日にウィスコンシン州ミルビルで生まれ、1988年4月25日にミネソタ州ミネアポリスで没したアメリカ合衆国のSF作家、ファンタジー作家である。ヒューゴー賞を3度、ネビュラ賞を1度受賞し、アメリカSFファンタジー作家協会からグランド・マスター賞を授与された。アイザック・アシモフらと並ぶ、SF黄金時代の大作家の一人とされる。
チェコ系の移民の子で、父は農場労働者のジョン・ルイス、母は地元の農場主の娘マーガレットである。弟のカーソンとともに、父が土地を買って建てた農場で育った。本人の思い出のなかでは、飼い慣らされたリスの群れや、テリアが幼年期を彩っている。ミルビルと隣の村は、のちに彼の多くの物語の舞台となった。ウィスコンシン大学マディソン校に学んだが、中退し、中西部のさまざまな新聞社で働いた。1929年に結婚して、息子と娘をもうけた。子どもたちの存在が、記者や作家を志す一因だったとされる。幼いころにH・G・ウェルズを読んでSFに興味を持ち、1931年、最初のSF『赤い太陽の世界』が雑誌に掲載された。このとき27歳で、作家としての出発は遅かった。
1933年にはSF雑誌が不振で、いったん作家活動をやめた。1933年から1937年に発表したSFは、中編『創造者』のみだが、当時のSFとしては珍しく、神の意味を問う内容で、評判を呼んで、ささやかな名声を与えた。記者としても昇進し、1937年にミネソタ州に移って、1939年にミネアポリスの新聞社で働き始め、1976年に引退するまで続いた。1937年後半、ジョン・W・キャンベルがSF界に新風を吹き込むと、シマックは復帰し、アスタウンディング誌の常連となってSF黄金時代を支えた。処女長編『大宇宙の守護者』に見られるように、初期の作品は、スペース・オペラの系統だったが、まもなく独自の作風を開拓し、「優しく田園的」と評された。1949年にはミネアポリス・スター紙の記者となり、毎週『明日の世界』と題する科学コラムを書く一方、SF作家としても活動した。
最高傑作とされる『都市』は、人類が地球を脱出しようとする時代を描いた連作短編で、1944年から書き始めた。この作品で新境地を拓いた。1950年代から1960年代には、『再生の時』(1951年)、『中継ステーション』(1963年)などの良作を書き続けた。『中継ステーション』は、不死となった南北戦争の退役軍人が、自宅を宇宙人の中継駅にして、牧歌的で瞑想的な暮らしを送る物語で、1964年のヒューゴー賞を受けた。『再生の時』の宣伝文には「私は結婚33年目で、2人の子を持ち、幸福に暮らしている。休暇にはつりを楽しむ」と書き、この本は「彼女がいなければ一行も書けなかっただろう」として妻に捧げられた。1980年代にはファンタジー分野にも進出した。作品には、故郷のウィスコンシンの風景と、田舎の無愛想な個人主義者の姿が繰り返し現れる。「大きな前庭」の主人公ハイラム・テインや、その飼い犬は、その典型である。1961年にはミネアポリス・トリビューンの科学読み物の企画を担当した。晩年まで友人たちに励まされて執筆を続けた。
同じ年に亡くなった人物
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- 許政 (1988年没)
- コーレ・ヴァルベルグ (1988年没)
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- アラン・ペイトン (1988年没)
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