伝記
レックス・ハリソンは、本名レジナルド・ケアリー・ハリソンといい、1908年3月5日、イングランドのハイトンに生まれた俳優である。当時はランカシャー州、現在はマージーサイド州にあたる。父ウィリアム・レジナルドは綿や絹の仲買人、母はイーディス・メアリーだった。3人きょうだいの末っ子で、姉が二人いる。10歳のころから、自分で「レックス」の名を名乗った。子供のころにかかった麻疹のせいで、左目の視力をほとんど失った。リヴァプール・カレッジなどで学び、早くから俳優を志して、学校劇に出演し、リヴァプールのレパートリー劇場に通った。
1924年、16歳のときに、リヴァプールのレパートリー劇場で初舞台を踏んだ。1927年まで端役を演じ、巡業の劇団に加わった。6年間の巡業とレパートリー劇場の仕事が続いたのち、1936年の舞台で批評家の称賛を得た。同年、ロンドンのウエスト・エンドの舞台に進出し、テレンス・ラティガン作の喜劇で、主役級の軽喜劇俳優として飛躍した。同年にブロードウェイの舞台にも立った。1930年に映画に初出演し、1937年には、ヴィヴィアン・リーと共演した恋愛喜劇で、映画の初主演を果たした。第二次世界大戦に従軍した1942年から1944年までは、空軍に所属し、そのキャリアは一時ストップした。
1940年代には、『陽気な幽霊』『アンナとシャム王』『幽霊と未亡人』などの名作に出演し、上品で洗練された個性で、多くの女性ファンを獲得した。舞台でも、ロンドンとニューヨークを行き来し、1949年にはブロードウェイの劇『千日のアン』のヘンリー8世役で、最初のトニー賞を受賞した。1956年には、ブロードウェイのミュージカル『マイ・フェア・レディ』で、ジュリー・アンドルーズの相手役として、ヒギンズ教授を初演し、国際的なスターの地位と、2度目のトニー賞を得た。1964年公開の映画版でも同じ役を演じ、アカデミー主演男優賞と、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。自身最高の当たり役となった。そのほか、1941年の『バーバラ少佐』、1963年の『クレオパトラ』、1967年の『ドクター・ドリトル』など、映画にも出演した。映画からは1983年に退き、1984年には、舞台での演技で、3度目のトニー賞候補になった。
プレイボーイとしても名を馳せ、生涯に6度結婚して、「レクシー・ハリソン」の異名をとった。1943年に女優のリリー・パルマーと再婚し、舞台や映画で共演した。1948年、愛人だったキャロル・ランディスが自殺し、バスルームで遺体が発見されるという事件が起こった。このスキャンダルのため、映画界では1951年まで干されたが、舞台での仕事は続いた。1957年にパルマーと離婚し、ケイ・ケンドールと再婚したが、ケンドールは1959年に病死した。その後、レイチェル・ロバーツ、エリザベス・ハリスと結婚し、1978年に30歳年下のマーサ・ティンカーと結婚して、この結婚は死去まで続いた。1975年に最初の自伝を出し、1989年6月に、エリザベス女王からナイトの称号を受けた。膵臓癌により、1990年6月2日に82歳で亡くなる直前まで、舞台に立ち続けた。
同じ年に亡くなった人物
- マリアーノ・ルモール (1990年没)
- アラン・ヘイル・Jr (1990年没)
- 尹潽善 (1990年没)
- 高柳健次郎 (1990年没)
- レフ・ヤシン (1990年没)
同じ地域に関係する人物
- アイリーン・ワース (2002年没)
- ジャンヌ・イーグルス (1929年没)
- オリバー・サックス (2015年没)
- トム・C・クラーク (1977年没)
- マリアン・マクパートランド (2013年没)