HISTORICAL PERSON · 1990年没

キース・ヘリング

ニューヨークの地下鉄構内でチョークの絵を描くサブウェイ・ドローイングで知られ、シンプルな線と色の作品で1980年代アメリカを代表した画家。

生涯
1990年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / マンハッタン区)
出生地
アメリカ合衆国(レディング)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

キース・ヘリングは、1958年5月4日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州レディングに生まれた画家である。育ったのは、同州のカッツタウンで、技師でアマチュアの漫画家だった父アレン、母ジョーンと、三人の妹とともに暮らした。幼いころから美術に関心があり、父と一緒に創造的な絵を描いて過ごした。初期の影響としては、ディズニーのアニメや、ドクター・スースの絵本、シュルツの漫画、ルーニー・テューンズなどがある。家族が通っていた教会の関わりで、10代のころには、キリスト教の運動にも参加した。のちにヒッチハイクで国中を旅し、ロックバンド、グレイトフル・デッドと反ニクソンの図柄のTシャツを作って売った。熱心なデッドのファンだった。1976年に高校を出て、1978年まで、ピッツバーグの商業美術学校で学んだが、興味を失い、ロバート・ヘンライの『アート・スピリット』を読んで、自分自身の美術に集中しようとした。

ピッツバーグの工芸センターで保守の仕事をしながら、デュビュッフェ、ポロック、トビーなどの美術に触れた。1977年のアレシンスキーの回顧展や、1978年のクリストの講演に、強く影響を受けた。1978年にニューヨークのロウアー・イースト・サイドに移り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツで絵画を学んだ。ナイトクラブで皿洗いの助手として働きながら、記号論を学び、ビデオやパフォーマンスアートも試みた。作家のウィリアム・バロウズからも、大きな影響を受けた。

1980年に、ニューヨークの地下鉄の構内で、使われていない広告掲示板に黒い紙を張り、白いチョークで絵を描く、サブウェイ・ドローイングという活動を始めた。シンプルな線でリズミカルに描かれた絵は、通勤客の間で評判となり、キースの名が知られるようになった。彼は地下鉄を自分の「実験室」と考えていた。這う赤ん坊が光を放つ「輝く赤ちゃん」は、最も知られた象徴となり、吠える犬や空飛ぶ円盤、大きなハートなども、作品によく現れた。ニューヨークの画商トニー・シャフラジの支持もあり、数回の個展を開いて、世界的に知名度を上げた。ニューヨーク、シドニー、メルボルン、リオデジャネイロ、アムステルダム、パリなどで壁画を作り、ベルリンでは、チェックポイント・チャーリー近くの壁に絵を描いた。1982年から1989年の間に50以上の公共の作品を作り、その多くは、病院や保育園、学校のために、無償で制作されたものである。1986年には、自らの活動の延長として、ポップ・ショップを開いた。ジャン=ミシェル・バスキアやアンディ・ウォーホルとも、親交が深かった。

ゲイであることを公表していた。社会貢献の活動を数多く行い、エイズの撲滅や、恵まれない子供たちのための活動で知られる。自身がHIVに感染していたこともあって、作品を通じて感染を防ぐメッセージを発し、エイズ撲滅の活動に積極的に関わった。その最初のポスターも描いた。最後の作品は、イタリアのピサ中央駅近くの教会の壁に描いた「トゥットモンド」である。1990年2月16日、エイズによる合併症のため、31歳で亡くなった。日本でも人気があり、2007年には、山梨県北杜市に、彼のコレクションだけを展示する中村キース・ヘリング美術館が開館した。

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