伝記
カート・コバーンは、アメリカ合衆国のシンガーソングライターで、ロックバンド、ニルヴァーナのフロントマンである。ギタリスト、リードボーカリスト、主な作曲者を兼ねた。1967年2月20日、自動車整備工のドナルド・リーランド・コバーンと、ウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグの間に生まれた。ビートルズが大好きで、絵の上手な子供だったという。
幸せな幼年期を過ごしていたが、1975年に両親が離婚して大きな精神的衝撃を受け、内向的で引きこもりがちな少年に変わった。父に棄てられたという感覚を、その後も拭えなかったとされる。離婚後は最初、父に引き取られ、トレーラーハウスでブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、特にブラック・サバスの音楽性に多大な影響を受けた。学校では友達を作らず、図書館でチャールズ・ブコウスキーらの本を借りて読み、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』も愛読した。ハイスクール在学中にパンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会い、もらったテープでパンク・ロックに興味をもって音楽を始めた。最初のギターは14歳のときに質屋で買ったもので、AC/DCやレッド・ツェッペリンの曲を練習した。
1985年にはフィーカル・マターというバンドを組み、1986年に解散した。周囲の高校生は音楽の才能が見合わず、ヘヴィメタル志向でもあったため折り合いが悪くなり、高校を中退して、その高校の用務員として働き始めた。そこで同じパンク・ロック好きのクリス・ノヴォセリックと出会って意気投合し、1987年にクリス、アーロン・ブルクハードとともにニルヴァーナを結成した。のちにグランジと呼ばれるようになるシアトルの音楽シーンの一翼を担い、1989年に最初のアルバム『ブリーチ』を独立系のサブ・ポップから出した。1991年にゲフィン・レコードに移ってメジャー・デビュー作『ネヴァーマインド』を録音し、収録曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」で世界的な成功を収め、バンドと当時のロックシーンの流れに大きな影響を与えた。
しかし、アンダーグラウンドな出自をもつ本人は、この成功に葛藤を感じ、自分の信念を裏切ったように思い、メディアが伝える姿と本来の自分との隔たりにも戸惑ったとされる。次作『イン・ユーテロ』はスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎え、アンダーグラウンド志向に戻ったが、賛否が分かれた。1992年2月にはホールのコートニー・ラブと結婚し、娘フランシス・ビーンが生まれた。少年時代からの双極性障害と、20歳ごろからの原因不明の胃痛に鎮痛剤を使ったことに端を発する薬物依存に苦しみ、ローマでの自殺未遂を経て、1994年4月5日にシアトルの自宅で死亡しているのが発見された。27歳だった。警察の報告では死亡推定日は4月5日で、遺書にはニール・ヤングの歌詞の一部が引用されていた。ロバート・ジョンソンやジミ・ヘンドリックスらと同じ没年齢であることから、27クラブとも結びつけられる。
死については他殺説も唱えられた。コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントがこれを主張したことが発端で、遺書が死に触れていない点や現場検証の不可解な点が、世間に広まった理由とされる。2014年にはシアトル市警が現場の遺品30点を公開し、2015年に他殺説のリチャード・リーが現場写真の公開を求めた訴えは棄却された。商業主義や誇張報道に反発し、ありのままを表現し続けた姿勢は、「グランジの精神」として後進に強い影響を与えた。