HISTORICAL PERSON · 1994年没

インノケンティ・スモクトゥノフスキー

ソ連の俳優。「ソビエト俳優の王」と称され、舞台ではドストエフスキー原作の『白痴』などで活躍した。1974年にソ連人民芸術家となった。

生涯
1994年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ州 / クビンカ)
出生地
ロシア連邦(Tatyanovka)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ州)

伝記

インノケンティ・スモクトゥノフスキーは、1925年3月28日にシベリアのトムスク州にある寒村タチヤノフカで生まれたソビエト連邦の俳優である。生まれたときの姓はスモクトゥノヴィチで、ベラルーシの血を引く農民夫婦の子だった。かつてはポーランド人の出で貴族の家系だという噂もあったが、本人は自分がベラルーシ人の家系で貴族でもないとして、この説を否定している。第二次世界大戦では赤軍の兵士として戦地へ赴き、クルスクやドニエプル川、キエフの戦いに加わったとされる。

戦後の1945年から1946年にかけて、クラスノヤルスクのプーシキン劇場に付属する演劇学校で学び、1946年に同地の劇場に所属した。1946年から1954年までは、ノリリスク、マハチカラ、スターリングラードの劇場で俳優として働いた。1954年にモスクワのレーニン・コムソモール劇場の一員となり、1955年には映画俳優劇場スタジオに移った。1957年、ゲオルギー・トフストノーゴフに招かれてレニングラードの大ドラマ劇場に加わり、ドストエフスキー作『白痴』で主人公ムイシュキン公爵を演じて、ドラマティックな演技で観客を圧倒した。1959年には批評家のナウム・ベルコフスキーが、この舞台に出た彼を、身ぶりや表情と「魂の演技」を結びつけられる知性派の俳優と評した。アレクセイ・K・トルストイ作の戯曲によるマールイ劇場の舞台(1973年)は、演技力が最も生きた主演作のひとつとされ、同じ年にはモスクワ芸術座にも加わっている。

映画への初出演は、1962年のミハイル・ロム監督の作品である。1964年にはグリゴーリ・コージンツェフ監督のシェイクスピア悲劇『ハムレット』の映画版に出演した。かつて同じ役を演じた英国の俳優ローレンス・オリヴィエがこれを絶賛し、スモクトゥノフスキーはレーニン賞を受けた。オリヴィエの『ハムレット』が至高とされていた時代に、英国の批評家の多くも彼の演技を高く評価した。男らしい実直さと貴族のような繊細さ、優しさと辛辣な皮肉など、相容れないとされていたものを融合させ、完璧な英雄像を作り上げたと評された。本人は、ハムレットを迷う人ではなく強い意志をもつ人と捉え、その悲劇は疑いの悲劇ではなく認識の悲劇だと考えていたという。

エリダール・リャザーノフ監督の探偵物の風刺映画(1966年)でユーリー・デトチキンを演じて喜劇俳優としての才が開花し、広く知られるようになった。ほかに『チャイコフスキー』(1969年)のピョートル・イリイチ・チャイコフスキー役、コンチャロフスキー監督によるチェーホフ戯曲の映画版『ワーニャ伯父さん』(1970年)のワーニャ役、タルコフスキー監督『鏡』(1975年)のナレーター、プーシキンの劇をもとにした映画(1979年)のサリエリなどを演じた。レフ・クリジャーノフ監督の映画『罪と罰』ではポルフィーリー・ペトローヴィチ役を務め、1971年にワシリエフ兄弟賞を受けている。

1974年にソ連人民芸術家、1990年に社会主義労働英雄の称号を得た。同じ1990年にはロシアの映画賞ニカ賞の最優秀俳優賞を受賞している。1994年8月3日、サナトリウムで69歳の生涯を閉じた。1982年9月16日に発見された小惑星には、彼にちなんで「4926 スモクトゥノフスキー」の名が付けられている。

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