HISTORICAL PERSON · 1994年没

ヘンリー・マンシーニ

アメリカの作曲家・編曲家。ジュリアード音楽院で学び、グレン・ミラー楽団のアレンジャー兼ピアニストを務めた。映画音楽でグラミー賞やアカデミー作曲賞に何度も輝いた。

生涯
1994年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
アメリカ合衆国(クリーブランド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ヘンリー・マンシーニは、映画音楽とテレビ音楽で知られるアメリカ合衆国の作曲家、編曲家、指揮者である。1924年4月16日、オハイオ州クリーブランドで、出生時の名エンリコ・ニコラ・マンチーニとして生まれ、ペンシルベニア州の西アリキッパで育った。両親は南イタリアからの移民で、父のキンティリアーノは製鉄会社で働く労働者であり、アマチュアの音楽家でもあった。

8歳でピッコロを習い始め、12歳からはピッツバーグの演奏家で劇場の指揮者でもあったマックス・アドキンズにピアノと管弦楽の編曲を学んだ。1935年の映画『十字軍』の音楽を聴いたことが映画音楽を志すきっかけになったと本人が語っており、教師になってほしいという父の希望とは異なる道であった。アドキンズの縁でベニー・グッドマンのために編曲を書く機会も得ている。1942年に高校を卒業するとカーネギー工科大学に入り、同じ年のうちにニューヨークのジュリアード音楽院へ移った。翌1943年にアメリカ陸軍航空隊に入隊し、訓練中にグレン・ミラーが募る音楽家たちと知り合って軍楽隊に配属された。のちにフランスへ送られ、1945年にはオーストリアのマウトハウゼン・グーゼン強制収容所の解放に加わったという。

除隊後の1946年、テックス・ベネキーが率いて再結成されたグレン・ミラー楽団でピアニスト兼編曲者となった。この時期に、作曲家のエルンスト・クルシェネクやマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコに師事し、作曲、対位法、和声、管弦楽法を深めた。1952年にユニバーサル・インターナショナルの音楽部門に入り、以後約6年で100本を超える映画に音楽を提供した。『大アマゾンの半魚人』などの怪奇映画や、最初のアカデミー賞候補となった『グレン・ミラー物語』、オーソン・ウェルズの『黒い罠』などがその中にある。

1958年に独立し、ブレイク・エドワーズが手がけるテレビシリーズ『ピーター・ガン』の音楽を担当した。このシリーズの音楽集は、1958年に新設されたグラミー賞の年間最優秀アルバムに選ばれた。ここから35年間に30本の映画を共にする関係が始まる。ジャズの要素を重厚な管弦楽の映画音楽に取り入れた先駆者の一人とされる。『ティファニーで朝食を』では主題歌『ムーン・リバー』を生み、『酒とバラの日々』の主題歌とともに、作詞家ジョニー・マーサーと組んでグラミー賞を受けた。『ピンクの豹』とその続編群、『グレートレース』、『パーティ』、『テン』、『ビクター/ビクトリア』もエドワーズとの作品である。スタンリー・ドーネンとも『シャレード』『アラベスク』『いつも2人で』で組んだ。『刑事コロンボ』や『ひまわり』の主題曲も広く知られる。1969年には『ロミオとジュリエット』の愛のテーマの編曲録音で、全米シングルチャートの1位を記録した。

アカデミー賞は4度受賞し、グラミー賞は20回に及び、没後の1995年には功労賞も贈られた。人柄は温厚で、オードリー・ヘプバーンやクインシー・ジョーンズ、ジェリー・ゴールドスミスら多くの友人に慕われ、外国出身の作曲家にも親身に接したという。いくつかの大学から名誉博士号を受け、後進の育成にも力を注いだ。1994年6月14日、膵臓と肝臓の癌のため、ビバリーヒルズの自宅で70歳で亡くなった。

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