伝記
バート・ランカスターは、アメリカ合衆国の映画俳優、映画プロデューサーである。1913年11月2日にニューヨークで生まれた。本名はバートン・ステファン・ランカスターという。五人兄弟の四男で、父は郵便局員だったが週給が48ドルと貧しく、少年のころから雪かきや靴磨き、新聞売りをして家計を助けた。出自についてはアイルランド系と紹介されることが多かったが、没後にはイタリア系とする説も出ており、ルーツははっきりしない。
子供のころから読書を好み、映画ではダグラス・フェアバンクスの冒険活劇に熱中した。1920年に『奇傑ゾロ』が近所の劇場にかかったときは、真っ先に切符売場に並んだという。高校ではバスケットボールの選手として活躍し、その奨学金でニューヨーク大学に進んだ。体育教師を志したが、授業に退屈して2年で中退した。幼なじみのボクサー、ニック・クラヴァットと組んでアクロバットのチームを作り、1932年にサーカスへ入り、3年後には空中ぶらんこの花形となった。1939年、セントルイスでの興行中に指を痛めてチームは解散した。その後はモデルや消防士、給仕などの職を転々とした。
1942年にアメリカ陸軍に入り、軍の慰問団の一員として慰問ショーの演出や出演をこなした。1943年から1945年までは、マーク・クラーク大将が指揮するイタリア駐留の第5軍で勤務した。復員後、ある舞台のプロデューサーと出会ったことから、1945年にブロードウェイで初舞台を踏んだ。芝居は3週間で打ち切られたが、7本の映画から出演依頼が来た。製作者ハル・B・ウォリスと知り合ってパラマウント映画と契約し、1946年に貸し出された先で出演した『殺人者』で映画デビューを飾る。主演ではなかったものの、重要な役で鮮烈な印象を残し、たちまちスターの仲間入りをした。
ハリウッドの映画づくりに疑問を抱いていた1947年、友人の紹介で製作者ハロルド・ヘクトと知り合い、翌1948年にヘクト=ランカスター・プロを設立した。その後は『怪傑ダルド』『真紅の盗賊』などの冒険活劇でヒットを飛ばし、アクションスターとして人気を得た。1953年の『地上より永遠に』ではアカデミー主演男優賞に初めて候補となり、浜辺でデボラ・カーと交わす場面は映画史に残る名場面となった。1955年にはテレビドラマを映画化した低予算の『マーティ』を製作し、アカデミー作品賞などを受賞する大ヒットとなった。1957年の『OK牧場の決闘』では親友で好敵手のカーク・ダグラスと共演し、実在したワイアット・アープとドク・ホリデイをそれぞれ演じた。1960年の『エルマー・ガントリー』で偽伝道師を演じ、アカデミー主演男優賞を受けている。
1960年代にはジョン・フランケンハイマー監督と『終身犯』『五月の七日間』『大列車作戦』など5本で組んだ。ヴィスコンティの『山猫』、ベルトルッチの『1900年』、ルイ・マルの『アトランティック・シティ』などヨーロッパの名作にも主演した。1980年に心臓発作を起こしてからは出演作が減ったが、『フィールド・オブ・ドリームス』などで存在感を示した。反戦主義者で、政治色の強い作品にも関わった。人情家の一面もあり、幼いころ世話になった青少年施設へ毎年寄付を続けたという。1991年のテレビ映画が遺作となり、1994年10月20日に心臓麻痺で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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