伝記
エフゲニー・パーヴロヴィッチ・レオーノフは、1926年9月2日に生まれ、1994年1月29日に没したソ連およびロシアの俳優で、声優でもあった。ロシアで最も愛された俳優の一人とされ、ソビエト連邦、のちのロシアを代表するコメディ俳優の一人であった。
モスクワで、航空機エンジニアの父パーヴェルと、専業主婦の母アンナの次男として生まれた。典型的なモスクワの家庭で育ち、有名な飛行士チカロフのような戦闘機の操縦士になることを夢見ていたという。これは、父が航空機工場で働いていたことにもよるとされる。第二次世界大戦が始まると、ナチスの侵攻で学校での勉強を中断せざるをえなくなり、家族とともに、武器と航空機の工場で働いた。航空業界で働きながら、モスクワ航空技術学校で学び、学校のクラブ活動でアマチュア演劇に触れたことがきっかけで、1943年にプロの俳優になろうと決心した。
兄から借りた外套を着て、モスクワの国立演劇スタジオの入団試験を受けた。チェーホフとゾーシチェンコの独白を演じ、さらに別のものを求められると、「もっとひどいものです」と答え、爆笑が起きたという。審査委員会は大きな可能性を見出し、演劇クラスの生徒となった。昼は工場で働き、夜は演技を学ぶ生活を続けて、1947年に俳優として卒業した。卒業後は、モスクワの地区の劇場に入り、この劇場は1948年にスタニスラフスキー劇場と改称された。しかし、なかなか役がつかず、映画のエキストラで食いつなぐ状態が続いた。1949年に端役で映画デビューし、1950年代半ばから、徐々に大きな役がつくようになった。最初の大きな仕事は、1955年の映画の脇役だった。1960年代から声優としても活動し、1969年のアニメ映画『ヴィンニー=プーフ』では、プーフの声を担当した。
1970年代になると、脇役だけでなく、特にコメディ映画で主役も務めるようになった。監督のゲオルギー・ダネリヤの常連となり、『幸運の紳士たち』、『アフォーニャ』、『ミミノ』、『秋のマラソン』、『不思議惑星キン・ザ・ザ』など、ほとんどの作品に出演した。1971年の『白ロシア駅』も、名作として繰り返しテレビで放送される。小柄で頑丈な体つき、表情豊かな目と、幅広い顔立ち、ゆったりした動きと、やや間延びした話し方が、コメディにうってつけだとされた。悲劇的な役でも批評家の注目を集め、飾らない自然な演技は、多くの名優が同じ映画への出演を避けたがるほどだったと伝えられる。「ロシア人にとってのレオーノフは、フランス人にとってのフェルナンデルのようなものだ」とも評された。『秋のマラソン』では、ヴェネツィア映画祭で最優秀男優賞を受けたと伝えられる。生涯に200を超える役を演じ、ソ連国家賞を2度受け、1978年にソ連人民俳優の称号を受けた。
1991年にドイツで巡演中、大きな心臓発作に襲われ、10日間意識がなかった。大手術で命を取り留め、回復して、劇場での公演を再開した。ロシアの風景画や家具、骨董品などの美術品収集家としても知られ、モスクワの自宅は美術館のようだった。妻との間の一人息子アンドレイも俳優になった。1994年に心筋梗塞で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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- ジョン・オズボーン (劇作家) (1994年没)
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