伝記
ジョナス・エドワード・ソークは、1914年10月28日にニューヨークで生まれたアメリカ合衆国の医学者で、ウイルス学者であり、初期の成功したポリオワクチンを開発した人物である。両親は貧しいロシア系ユダヤ人の家庭に属しており、父ダニエルはニュージャージー州で生まれたユダヤ系移民の子、母ドーラはミンスクで生まれ、12歳でアメリカに渡ったとされる。両親は十分な学校教育を受けておらず、ジョナスは弟二人を持つ長男として育ち、家族の中で初めて大学に進んだ人物となった。一家はイースト・ハーレムからブロンクスへ移り住んだ。
13歳で、知的に優れた生徒のための公立学校、タウンゼンド・ハリス・ホール予備学校に入学した。そこは移民の子らに高等教育への道を開く学校で、4年分の課程を3年に詰め込むため、中退や落第も多かったが、卒業した生徒の多くはニューヨーク市立大学シティカレッジに進める成績を持っていた。ソークは15歳でシティカレッジに入り、1934年に化学で理学士の学位を得た。母の強い勧めで、弁護士になる望みを脇に置き、医学部に必要な科目に集中したという。子どものころは科学や医学に関心がなく、関心があったのは人間にまつわることだったと、のちに振り返っている。卒業後はニューヨーク大学の医学部に進み、1939年に医学博士号を取得した。ニューヨークのマウント・サイナイ医科大学での勤務ののち、1947年にピッツバーグ大学医学部の教授に迎えられた。
ピッツバーグ大学では1948年から、ポリオウイルスにいくつの型があるかを確かめる計画に取り組み、続く7年ほどはワクチンの開発に打ち込んだ。1955年4月にワクチンの成功が発表されると、ただちに「奇跡の人」と称えられた。アメリカでも世界でも接種を急ぐ動きが起こり、カナダ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、西ドイツ、オランダ、スイス、ベルギーなど多くの国が、このワクチンを使った予防接種の運動を始め、1959年には約90か国に届いた。ソークは、安全で効果的なものをできるだけ早く開発することだけに集中し、個人的な利益を求めなかった。ワクチンの特許について問われたテレビのインタビューでは、「特許は存在しない。太陽に特許は存在しないでしょう」と答えている。ワクチンの特許は取らないと決めたあとで、全米小児麻痺財団とピッツバーグ大学が特許の可能性を調べたが、製造の技術は新規性が乏しく、特許の対象にならないと判断されたという。のちにアルバート・セービンが開発した弱毒生ワクチンの経口薬が、1961年に実用化された。
1960年代前半に、カリフォルニア州ラホヤにソーク研究所を創設した。分子生物学と遺伝学の研究所として世界に知られ、多くのノーベル賞学者を輩出している。晩年は研究と執筆を続け、最後の数年間はエイズウイルスのワクチンの探求に力を注いだ。子どもへの予防接種の普遍化を「道徳的な責務」と呼び、生涯にわたって義務化を強く訴えた。1977年には大統領自由勲章を受け、1995年6月23日に亡くなった。2014年10月28日の生誕100周年には、グーグルのトップページが彼を称える特別なロゴになった。
同じ年に亡くなった人物
- 尹伊桑 (1995年没)
- フリアン・ベレンデロ (1995年没)
- ジェイムズ・ヘリオット (1995年没)
- ジャン・タルデュー (1995年没)
- メイ・サートン (1995年没)
同じ地域に関係する人物
- ジーン・アーサー (1991年没)
- アーニー・ロビンソン (2020年没)
- アラン・ホールズワース (2017年没)
- オットー・レデラー (1965年没)
- フリッツ・ライバー (1992年没)