伝記
グンナー・ノルダールは、スウェーデンのサッカー選手、指導者である。本名はニルス・グンナー・ノルダールで、1921年10月19日に生まれ、1995年9月15日に亡くなった。現役時代のポジションはフォワードで、強靭な体躯と高い得点力をもつ点取り屋として知られた。
選手としての歩みは、スウェーデンのヘルネフォシュIFに始まり、デーゲルフォシュIFを経てIFKノーショーピングに移った。ノーショーピングではリーグ戦で4回の優勝を果たし、1試合で7得点を挙げたこともある。スウェーデンのクラブに在籍した間は、172試合で149得点を記録した。アルスヴェンスカンの得点王にも4回(1942-43、1944-45、1945-46、1947-48の各シーズン)輝き、1947年にはスウェーデンの年間最優秀選手に与えられるグルドボーレン賞を受けた。イタリアでは「大砲手」「野牛」の愛称で呼ばれ、スウェーデンでの前職にちなむ「消防士」の名でも知られた。
代表チームには1942年から1948年まで在籍し、33試合に出場して43得点を挙げた。同じ代表のストライカー仲間だったグンナー・グレン、ニルス・リードホルムとともに活躍し、兄弟のベルティルとクヌートも同じ代表チームにいた。1948年のロンドンオリンピックでは、デンマークのジョン・ハンセンと並んで大会の得点王となり、スウェーデンの金メダルに貢献した。ただし、1949年1月22日、グレン、リードホルムとともにイタリアのACミランへ移籍したことで、プロ選手を代表に入れない当時の規則により、代表から退くことになった。これにより1950年のワールドカップにも出られなかった。この三人は、頭文字から「グレ・ノ・リ」と呼ばれる有名なトリオとなり、ノルダールは、スウェーデン人として初めて外国のリーグで戦った選手でもある。
ミランでは8シーズンを過ごし、セリエAの得点王に5回輝いた。1949-50、1950-51、1952-53、1953-54、1954-55の各シーズンで、リーグ史上最多の回数である。優勝も2回(1950-51、1954-55)経験し、ラテンカップにも1951年と1956年に優勝した。セリエAでは、ミランでの210得点がクラブの歴代最多で、2012年にフランチェスコ・トッティに破られるまでは、単一クラブでの歴代最多得点記録でもあった。通算では291試合で225得点を挙げ、シルヴィオ・ピオラとトッティに次ぐ歴代3位で、外国籍の選手では最多である。1試合あたり0.77得点は、セリエAの歴代で最も効率のよい数字とされる。1949-50シーズンの35得点は、2015-16シーズンにゴンサロ・イグアインが36得点で破るまで、シーズン最多の記録だった。ミランを離れたあとは、ASローマで2シーズンを過ごした。
「グレ・ノ・リ」とともに、ミランでは今も伝説的な存在とされる。ミランのシェフチェンコがリーグ戦で100点目を挙げたとき、古いファンが「それを倍にして、さらに26点足して、はじめてノルダールを超える」と語ったと伝えられる。1999年には国際サッカー歴史統計連盟の20世紀世界最優秀選手で46位に入り、2017年にはサッカー誌の選ぶ史上最高の100人で54位に挙げられた。息子のトマス・ノルダールもサッカー選手で、1970年のワールドカップのスウェーデン代表に入った。
同じ年に亡くなった人物
- 邱妙津 (1995年没)
- ビル・ローリング (1995年没)
- エリザベス・モンゴメリー (1995年没)
- アイダ・ルピノ (1995年没)
- ジェイムズ・ヘリオット (1995年没)
同じ地域に関係する人物
- Folke Frolen (2002年没)
- アーサー・レーンルンド (2011年没)
- Lennart Larsson (2021年没)
- Gun Roring (2006年没)
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