伝記
パトリシア・ハイスミスは、アメリカ合衆国出身の作家である。1921年1月19日にテキサス州のフォートワースで生まれ、スタンリー・ハイスミスの養女となってニューヨークで育った。学生時代からドストエフスキー、コンラッド、エドガー・アラン・ポー、モーパッサンなどを愛読した。バーナード・カレッジに在学中に短篇小説を書き始め、「ヒロイン」が雑誌『ハーパース・バザー』に掲載された。長篇小説も書いていたが、24歳の誕生日に破棄している。自らレズビアン、ないし両性愛者だと述べていた。作家になる前は、コミックブックの脚本と編集を担当していた。
長篇の処女作は『見知らぬ乗客』(1950年)で、これがアルフレッド・ヒッチコックによって映画化された。続く長篇『太陽がいっぱい』(1955年)も、ルネ・クレマン監督の同名映画がヒットして、ハイスミスは人気作家になった。この作品は同年にフランス推理小説大賞を受け、主人公トム・リプリーは、のちにシリーズ化された。1964年には『殺意の迷宮』で英国推理作家協会賞の外国作品賞を受け、1993年にはフィンランド・ミステリ協会から、生涯の功績に対する外国推理作家賞を贈られた。一方、百貨店のアルバイト中に見かけた女性に着想を得て、人妻と女性店員の恋愛を描いた長篇は、クレア・モーガン名義で出版され、同性愛者の人気を呼んで百万部を超えるベストセラーになった。現行版はハイスミス名義で、題名は『キャロル』となっている。
主にサスペンスやミステリーの分野で読者を得たが、本人は自作がそのように評価されることに不満をもっていた。グレアム・グリーンは、英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる、不合理な展開や不安感を作品の特徴に挙げている。風刺やブラック・ユーモアを含む多くの短篇も書いた。1963年からヨーロッパ各地に移り住み、アメリカを舞台に書くときは、アメリカの友人から現地の風俗の情報を集めていた。1982年からスイスで暮らした。
カタツムリを飼っていたことでも知られる。イングランドのサフォークに住んでいたころは約300匹を飼育し、社交の場にも連れていって、あるパーティーではハンドバッグからレタスと多数のカタツムリを取り出し、テーブルの上を歩かせたという。1964年にはカタツムリをフランスへ持ち込むため、ブラジャーに隠して税関を通ったとされるが、伝記作家ジョーン・シェンカーは、実際にはカッテージチーズの容器に入れたと考えている。カタツムリの観察は趣味で、何作品かで題材にもした。
人付き合いを好まず、晩年は隠遁的に暮らしたとされるが、交流が皆無だったわけではない。知人や伝記作家からは、社交性の乏しさや他人への辛辣な態度もしばしば指摘された。1968年のディナーパーティーでは、ろうそくに頭を近づけて髪に火をつけ、客が消火したという。一方で、1987年に知り合った脚本家フィリス・ナジーとは親しく、頻繁に手紙を交わし、スイスの自宅に招いて滞在させた。1991年のインタビューでは、一人で暮らす理由として、人と話さずにいるほうが想像力がよく働くという趣旨の発言をした。1995年2月4日、ティチーノ州ロカルノの病院で、肺がんのため亡くなった。2021年には日記と手帳をまとめた書が刊行され、その日記をもとに映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」が作られた。日本では1990年代に人気に火がつき、河出文庫などで多くの作品が刊行された。
同じ年に亡くなった人物
- カルロス・モンソン (1995年没)
- アレクサンダー・ノックス (1995年没)
- クレア・パターソン (1995年没)
- アート・テイラー (1995年没)
- オスバルド・プグリエーセ (1995年没)
同じ地域に関係する人物
- オットー・ブラウン (1955年没)
- ヴァルター・ヘス (1973年没)
- アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (1995年没)
- シュテファン・ゲオルゲ (1933年没)
- リヒャルト・ヴィルシュテッター (1942年没)