伝記
ジャンヌ=ルイーズ・カルマンは、1875年2月21日にフランス南部のアルルで生まれ、1997年8月4日に122歳164日で亡くなったとされる女性である。公的な記録の上では人類史上最も長生きをした人物とされている。父ニコラは船大工、母マルグリットは製粉業者の家の出で、彼女は三女にあたる。上の二人の姉は彼女が生まれる前に幼くして世を去っていた。1876年の国勢調査には1歳と記録されている。家族には長命の者が多く、兄のフランソワは97歳、父は93歳、母は86歳まで生きた。小学校のあと地元の学校で学び、16歳で修了の資格を得たという。
13歳だった1888年、アルルに滞在していた画家フィンセント・ファン・ゴッホが、親族の営む画材店に絵の具と鉛筆を買いに来たときに出会ったと、のちに語っている。ゴッホはその2年後に亡くなった。エッフェル塔の完成や、1885年のヴィクトル・ユーゴーの大規模な国葬も記憶していたという。1896年にはとこのフェルナン・カルマンと結婚した。夫は裕福な店の跡取りで、夫婦は店の上の広い住まいに暮らし、彼女は働く必要がなく、フェンシング、テニス、自転車、水泳、ピアノやオペラなどの趣味を楽しむ余裕のある生活を送ったとされる。1898年に一人娘のイヴォンヌが生まれ、娘は軍人のジョゼフ・ビイヨと結婚して、孫のフレデリックを産んだ。娘は1934年に36歳で亡くなり、夫は1942年に亡くなった。孫は医師になったがオートバイ事故で36歳で死去し、彼女は夫、娘、娘婿、孫のすべてより長生きした。
1965年、相続人がいなくなった90歳の彼女は、公証人のフランソワ・ラフレーと、フランスでは一般的なリバースモーゲージの契約を交わした。アパートを売る代わりに、毎月2,500フランが支払われる約束だった。ラフレーは1995年12月に77歳で亡くなったが、その後も彼女が存命だったため、未亡人が支払いを続け、夫妻は家の価格の2倍以上を払ったことになる。
国際的に知られるきっかけは、1988年にゴッホの「ひまわり」制作百年の記念でゴッホに直接会った人としてインタビューを受け、「みすぼらしい服装で、酒癖が良くない人物だった」と評したことだった。1989年には満113歳で世界最高齢の人物としてギネスブックに掲載された。フェンシングは85歳から始め、自転車は100歳まで乗ったという。1週間に1キログラムのチョコレートを食べていたとされる。114歳のときには本人役で映画『ヴィンセント・アンド・ミー』に出演し、史上最年長の女優にもなった。1985年に110歳で施設へ移り、1990年に大腿骨を骨折するまで歩行できた。喫煙は20歳代から続けたが、火をつけてくれる介護者を気遣い、117歳でやめたという。
2018年12月、モスクワ大学の数学者ニコライ・ザークらは、娘のイヴォンヌが相続税を逃れるために母に成り済ましていたとする報告書を発表した。一方、アルルの当時の市長や、記録の認定に携わった人口統計学者は強く反論した。2019年9月にはフランスの専門家チームが疑義を否定し、新旧のデータを見直した結果、年齢が正確に記録された史上最高齢の人物であると改めて確認したと発表し、1000万人に1人が123歳に達し得るという統計上の見積もりも示した。アルルを管轄するタラスコン裁判所も報告書を退けた。
同じ年に亡くなった人物
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- 田中友幸 (1997年没)
- ビリー・ダヴ (1997年没)
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- フランク・パーカー (1997年没)
同じ地域に関係する人物
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