HISTORICAL PERSON · 1997年没

バオ・ダイ

阮朝の第13代で最後の皇帝。後にベトナム帝国皇帝、ベトナム民主共和国最高顧問、ベトナム国国長を歴任した。

生涯
1997年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
ベトナム社会主義共和国(フエ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

バオ・ダイは、1913年10月22日にフエの皇城で生まれた阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝である。本名は阮福永瑞といい、バオ・ダイの名は治世の年号である保大に由来する。父は啓定帝で、幼いころからフランスの影響の強い環境に置かれた。1922年、9歳で皇太子となり、父とともにマルセイユの植民地博覧会に向かう使節団を率いて、初めて西欧を訪れた。その後、元アンナン理事長官のシャルル夫妻の養子とされてフランスに留学し、リセ・コンドルセなどで学んだ。ベトナムの君主として初めて西洋式の教育を全面的に受けたとされる。

1925年11月6日に父が亡くなると、翌1926年1月8日に12歳で即位して年号を保大とした。しかしまもなく留学を続けるために再びフランスへ渡り、政務は摂政が執った。パリでは1930年から政治学院に学び、テニスやゴルフ、スキーを楽しむなど、西洋風の暮らしに親しんだ。若いころは自動車好きの遊び人だったとも記録されている。1932年に帰国して親政を始め、フランスからの自立をめざして内政の改革に努めたとされる。1934年には、カトリック教徒でコーチシナ出身の阮有氏蘭と結婚し、のちの南芳皇后となった。この時期、皇帝の地位は名目的で、政治的な権限の多くはフランスに握られていたが、伝統的な穴あき銭を発行する権限は保たれていた。バオ・ダイも自らの年号を冠した保大通宝を鋳造した。十文に相当するものと、六文に相当する小型のものの2種類があった。翌1934年には勅諭で、これらの穴あき銭とインドシナ銀行のピアストル貨との交換率を定めている。この形式の貨幣は、東アジアで二千年以上作られた形式として世界最後のものとされる。

第二次世界大戦末期の1945年3月、日本軍が明号作戦でフランス軍を制圧すると、バオ・ダイはフランスからの独立を宣言してベトナム帝国を樹立し、その皇帝となった。しかし日本が敗戦した直後にベトナムでは八月革命が起こり、革命の指導者ホー・チ・ミンが、かつて伝説の革命家として知られた阮愛国その人だと知って衝撃を受けた。官房長官ファム・カク・ホエの後押しもあって、自らの庇護を条件に8月30日に退位し、9月2日にはホー・チ・ミンを国家主席とするベトナム民主共和国の独立宣言が出され、バオ・ダイは政府の最高顧問に任命された。だが左傾化していく政府での自らの地位に不安を抱き、外交代表団の一員として中華民国の北京を訪れた際に亡命し、1946年に香港へ渡った。

フランス連合とベトナム民主共和国との間で第一次インドシナ戦争が始まった後の1949年に帰国し、同年6月14日に成立したベトナム国の元首となった。1954年のジュネーヴ協定で国際的な承認を得たものの、同年に首相に任命したゴ・ディン・ジエムが、1955年に国民投票を実施して彼を退け、共和制のベトナム共和国を樹立して大統領に就いた。事実上のクーデターであったと評される。1955年に廃位されたバオ・ダイはパリへ亡命し、南北どちらのベトナムにも戻らず、カンヌ付近で余生を送った。ベトナム戦争の激戦が続く1972年には、戦争の終結と南北の和解を呼びかけている。ベトナム統一後もフランスに住み続け、1997年7月30日、パリの陸軍病院で亡くなった。7月31日とする資料もある。

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