伝記
ヘイスティングズ・カムズ・バンダは、マラウイの初代大統領で、独裁者として知られる政治家である。生まれたのは当時イギリス領のニヤサランドと呼ばれた地域のカスング近くで、生年は記録がなく不明である。本人はしばしば1906年5月14日と述べたが、友人の示した部族の習慣の証拠を受け、1898年の3月か4月だったと認めたという。名のカムズは「小さな根」を意味し、母が呪医から不妊を治す薬草の根を与えられたのちに身ごもったことにちなむ。ヘイスティングズの名は、1910年にスコットランド教会の洗礼を受けたとき、敬愛していたスコットランド人宣教師にならってつけたものである。
初等教育は3年ほどで、宣教師の学校で学んだのち、徒歩で南ローデシアに渡り、1917年にはヨハネスブルグへ向かって数年間、金鉱で働いた。そこで知り合ったアフリカ・メソジスト監督教会の主教から、渡航費を自分で出せば合衆国の学校の学費を出すと申し出られ、1925年にニューヨークへ渡った。オハイオ州のウィルバーフォースで高校課程を学んで1928年に卒業し、講演で収入を得ながら、インディアナ大学で医学の予科に進んだ。のちにシカゴ大学に移って、歴史を専攻して1931年に学位を得ている。この間、母語であるチェワ語についての情報を研究者に提供し、その文法書の出版にも協力した。その後はスコットランドで医学教育を受け、1938年にエディンバラで、1945年にはロンドンで開業した。長老派教会の会員であり続け、ロンドンの医院では、のちのガーナ大統領エンクルマや、ケニア大統領ケニヤッタと親交を結んだ。1953年から1957年までは、ガーナ中部の都市ケマシに滞在した。
1958年にガーナからニヤサランドに帰国したが、母語のニャンジャ語は流暢に話せなくなっていて、しばしば通訳が必要だったという。イギリス主導の中央アフリカ連邦への反対運動を続けて投獄され、1960年に出獄した。1963年に連邦が解消され、同年2月1日に首相に就任して、1964年7月にはイギリス連邦の一員として独立を迎えた。共和国が成立した1966年に大統領となり、1971年には自ら終身大統領になった。
1970年から始まったマラウイ会議党の一党支配のもとで、少なくとも3億2000万ドルを私財として蓄え、20万人以上を裁判なしに収監したとされる。アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国と国交を結んだ数少ないアフリカの指導者で、同国から援助も受けた。西側諸国がこの独裁を黙認していたのは、社会主義をとる隣国のモザンビークやタンザニアへの防壁になると考えられたためだとされる。1968年から1993年まで国民の服装を制限し、女性には太腿を隠すよう指導してズボンを禁じ、長髪の男性は反大統領と決めつけて逮捕のうえ髪を切らせた。1980年代初めには愛人との関係が悪化していた時期にあたり、サイモン&ガーファンクルの「いとしのセシリア」のラジオ放送を禁じた。一方で、英国のイートン校を模した中等学校カムズ・アカデミーを設立している。
1991年にイギリスが圧政を認めないと表明し、1992年にはカトリック教会が離反して暴動が起き、複数政党制への国民投票が1993年に行われた。1994年の民主的な大統領選挙で、バキリ・ムルジに大敗した。1997年11月25日、南アフリカ共和国の病院で死去し、101歳であったと言われる。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・ハーワード・ヨーダー (1997年没)
- パウル・カレル (1997年没)
- スヴャトスラフ・リヒテル (1997年没)
- 星新一 (1997年没)
- ロジェ・マルシュ (1997年没)
同じ地域に関係する人物
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- フィリップ・V・トビアス (2012年没)
- Lebo Mathosa (2006年没)
- ウィリアム・メイヤーズ (2014年没)