伝記
アントン・サンダー・ラヴェイは、本名をハワード・スタントン・リーヴィーといい、1930年4月11日にシカゴで生まれた。サタン教会の開祖で、アメリカにおける同教会の司祭長を務めた著述家、オカルティスト、ミュージシャンである。父はシカゴ出身のマイケル・ジョゼフ・レイヴィ、母はガートルード・オーガスタ・コウルトロンといい、祖父母はロシアやウクライナから来た移民で、1900年に市民権を得て帰化したという。ただし伝記には、フランス、ロシア、ウクライナ、ドイツ、ルーマニア、グルジア、アルザスの血を引くと書かれている。一家はカリフォルニア州に移り、幼いころはサンフランシスコのベイエリアやアリゾナ州グローブで過ごした。両親は楽器への興味に理解を示し、多くの楽器に触れることができた。なかでもパイプオルガンやカリオペなどの鍵盤楽器を好み、アール・ヘーゲンの曲などを演奏した。16歳のころまでカリフォルニア州ミルバレーのタマルパイス高校に通っていた。
伝記によれば、高校を中退してサーカスに入り、のちにカーニバルに加わった。雑用から始めて大型の猫の調教師になり、カリオペの演奏者となり、カーニバルで読唇術を披露したこともあるという。土曜の夜の下品なショーのあと、日曜の朝に同じ天幕で同じ顔ぶれが伝道集会を開くのを見て、宗教に疑問を抱いたと本人は回想している。後年はオルガン奏者として、バーやラウンジ、ナイトクラブで働いた。ロサンゼルスでは、無名のダンサー時代のマリリン・モンローと関係があったと記したが、当時を知る人々は正確さを疑い、劇場の支配人も事実ではないと述べている。サンフランシスコに戻ると、市警察で3年間カメラマンを務め、超常現象の調査も行って800件の依頼を受けたというが、伝記の著者が市警に在籍の有無を問い合わせても、確認はできなかった。1950年にキャロル・ランシングと出会い、翌年結婚して、1952年に娘カーラが生まれた。ダイアン・ヘガティに夢中になったため、1960年に離婚した。ヘガティとは結婚せずに伴侶であり続け、1963年に次女ジーナが生まれた。
ロスト・ウィークエンド・カクテル・ラウンジでの演奏や、超常現象の研究で地元の名士になり、パーティーにはフォレスト・J・アッカーマン、フリッツ・ライバー、ケネス・アンガーらが訪れた。毎週金曜の夜にオカルトと宗教儀式の講義を始めると、参加者から新しい宗教の土台を作るよう持ちかけられた。1966年4月30日のヴァルプルギスの夜、古代の処刑人の習わしとして頭をそる儀式を行い、サタン教会の設立を宣言して、この年を「サタン元年」とした。1967年2月1日にサタン教会主催の結婚式を開き、新聞に「暗黒教皇」と報じられた。その後、実の娘ジーナにサタニズムの洗礼を行い、教会の存在は世界中に知られるようになった。ニーチェ、アイン・ランド、メンケン、ジャック・ロンドンらの思想を教会の考えや儀式に取り入れ、論考は『サタンの儀式』などの書物にまとめられた。有名になると雑誌の取材やジョニー・カーソンらのテレビ番組への出演が相次ぎ、1970年には記録映画にも出演した。
3人目で最後の伴侶ブランシュ・バートンとの間に、1993年に息子が生まれた。1997年10月29日、サンフランシスコのセントメアリー医療センターで肺水腫のため亡くなった。死亡証明書の日付は、憶測を呼んだせいか、ハロウィンの10月31日の朝とされた。密葬で火葬され、カリフォルニア州に葬られた。没後、教会の代表はバートンが務め、のちにピーター・H・ギルモアに譲った。
同じ年に亡くなった人物
- Yevgeni Mayorov (1997年没)
- ジョアンナ・ムーア (1997年没)
- Josef Kreci (1997年没)
- Romano Amerio (1997年没)
- ウィリアム・アランド (1997年没)
同じ地域に関係する人物
- リチャード・ラミレス (2013年没)
- トーマス・ヒル (画家) (1908年没)
- リチャード・マリガン (2000年没)
- リヴァー・フェニックス (1993年没)
- ジェリー・ルービン (1994年没)