伝記
アラン・マクリオド・コーマックは、1924年2月23日、南アフリカのヨハネスブルグで生まれた物理学者である。一家は北スコットランドの出で、第一次世界大戦の後に南アフリカへ移り、母は教師、父は技師だった。三人きょうだいの末っ子で、1936年に父を亡くしたあと、一家はケープタウンに落ち着いた。ケープタウンのロンデボッシュ男子高校に通い、討論とテニスに熱心だった。父の跡を継ごうとケープタウン大学の電気工学科に進んだが、数年後に工学をやめて物理学を学びはじめた。1944年に物理学で理学士、1945年には結晶学で修士の学位を得た。
1947年から1949年までは、ケンブリッジ大学の研究生であった。この間に、のちに妻となるアメリカ人の物理学の学生バーバラ・シービーと出会っている。結婚後、1950年代の前半にケープタウン大学へ戻って講義を行い、乏しい設備のなかで原子核物理学を研究した。1956年から1957年にかけてハーバード大学で長期有給休暇を過ごすと、夫妻はアメリカ合衆国で暮らすことに決め、1957年秋にタフツ大学の教員に就任した。1966年にアメリカ合衆国に帰化し、1968年から1976年まで同大学の物理学科長を務めた。主な研究は素粒子物理学や原子核物理学で、その合間にX線の技術にも関心を寄せた。
きっかけは、X線写真が軟らかい組織や、密度の異なる組織の層を区別できないという問題だった。1956年、ケープタウン大学とグローテ・シューア病院で研究に着手し、1957年の中ごろに休暇から戻ってからも、断続的に続けた。様々な角度から体を通り抜けたX線の強さの減り方を測れば、体の断面の内部を計算で割り出せることを示し、断面の様子をずっと鮮明に描く数学的な方法を与えた。これがコンピュータ断層撮影(CT)の理論的な土台となった。成果は1963年と1964年に、応用物理学の雑誌に二本の論文として発表されたが、ほとんど注目されなかった。1972年になって、ゴッドフリー・ハウンズフィールドとその同僚が、コーマックの理論を用いて最初のCT装置を実際に作り上げた。この功績により、コーマックとハウンズフィールドは1979年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。博士号をもたないままの受賞は異例だったと伝えられる。
1998年5月7日、マサチューセッツ州で、癌のため74歳で亡くなった。死後の2002年12月10日、CTの開発者の一人としての顕著な業績により、マプングブェ勲章を授与された。
同じ年に亡くなった人物
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