伝記
サー・デレック・ハロルド・リチャード・バートンは、1918年9月8日に生まれ、1998年3月16日に没したイギリスの化学者である。立体化学を開拓した人物として知られ、1969年に「立体配座の概念の発展と化学への適用」への貢献により、オッド・ハッセルとともにノーベル化学賞を受けた。
ケント州のグレーブゼンドに、トーマスとモード・ヘンリエッタ・バートンの子として生まれた。父は大工で材木商であり、1935年に父が亡くなると、デレックは家業を手伝った。しかしその仕事に満足できず、1937年にメドウェイ技術学校で学び、翌1938年に大学入学の資格を得て、ロンドン大学のインペリアル・カレッジに入った。1940年に化学の学士号を得て、1942年には有機化学で博士号を取得した。第二次世界大戦中は医学上の理由で兵役に適さず、1944年まで政府の化学者として戦争のための研究に携わった。1944年にジャンヌ・ウィルキンスと結婚して、息子が1人生まれたが、1969年に離婚している。1945年までバーミンガムのアルブライト・アンド・ウィルソン社に勤め、その後はインペリアル・カレッジに戻り、1946年から1949年にはインペリアル・ケミカル社の研究員も兼ねてステロイドの研究に取り組んだ。
1949年にハーバード大学の天然物化学の客員講師となり、この間の1950年に、ノーベル賞の受賞につながる立体配座解析の論文を書いた。この論文は「ステロイド核の立体配座」と題され、スイスの雑誌に掲載された。ハッセルに代表される物理化学の成果をもとに、有機分子が配座異性体の構造を持つことを示したもので、シクロヘキサンのアキシアル結合とエクアトリアル結合という分類として整理され、多くの有機分子の構造を理解する方法として用いられた。1950年にバークベック・カレッジのリーダーとなり、1953年に教授、1955年にはグラスゴー大学の有機化学の欽定教授、1957年にはインペリアル・カレッジの教授となった。王立協会の会員には1954年、エディンバラ王立協会の会員には1956年に選ばれている。1958年にはマサチューセッツ工科大学の客員教授となり、同じ年にケンブリッジ(マサチューセッツ州)に研究所を設立して、活性コレカルシフェロールの合成などを研究した。危険を伴う実験もあり、爆発しても累が及ばないよう屋上の小屋で行ったものもあったという。1960年にはバートン反応を見いだし、アルドステロンをより多く作る方法も改良した。
1969年のノーベル賞の年には、フランス人のクリスティアーヌ・コニェと結婚した。1972年にナイト爵を授かったが、国際的に活動する彼を「サー・デレック」と呼ぶのはイギリス人くらいだったという。1973年には化学会の会長に選ばれ、1975年にはスチュアート・マコンビーとともに、有機合成に広く使われるバートン・マコンビー反応を開発した。1978年に定年を迎えると、フランスに渡ってジフ・シュル・イヴェットの天然物化学研究所の所長となり、1986年にはアメリカのテキサスA&M大学の特別名誉教授に就いた。1991年に中国科学院から名誉博士号を授けられた。受賞歴には、1961年のデービーメダル、1972年のロイヤル・メダル、1980年のコプリ・メダル、1995年のプリーストリー賞などがある。1998年、テキサス州のカレッジステーションで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ヴァンダ・ヤクボフスカ (1998年没)
- デヴィッド・マナーズ (1998年没)
- ベヒ・ラドガム (1998年没)
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- マシュー・シェパード (1998年没)
同じ地域に関係する人物
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