HISTORICAL PERSON · 1999年没

ジョージ・C・スコット

アメリカの俳優。『パットン大戦車軍団』でアカデミー主演男優賞を受賞したが辞退し、前代未聞の出来事として話題になった。

生涯
1999年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ウェストレイクビレッジ)
出生地
アメリカ合衆国(ワイズ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジョージ・キャンベル・スコットは、1927年10月18日、アメリカ合衆国バージニア州ワイズの両親の家で、2人きょうだいの弟として生まれた俳優である。父ジェラルドはビュイックの重役で、母ヘレナは、スコットが8歳になる少し前に亡くなったため、彼は父に育てられた。母方の祖父は地元の判事だった。もともとの望みは、好きな作家F・スコット・フィッツジェラルドのような作家になることで、デトロイトの高校に通うあいだに多くの短編を書いたが、どれも世に出なかった。長編小説も何度か試みたものの、自分の納得のいく形では完成させられなかった。

高校卒業後、1945年からアメリカ海兵隊に入り、ワシントンの海兵隊兵舎で、アーリントン国立墓地での軍人の葬儀の儀仗兵を主な任務とした。のちに、この勤務中に酒を飲む習慣がついたと語っている。除隊後は復員兵援護法の支援でミズーリ大学に進み、ジャーナリズムを学んだが、やがて演劇に引かれた。学生による上演で初めて舞台に立ち、1953年に英文学と演劇の学位を得て卒業したとされるが、1年で大学を去ったとする記述もあり、資料は食い違う。

舞台で頭角を現したのは、ジョゼフ・パップのニューヨーク・シェイクスピア・フェスティバルでの活動によってである。1958年には「リチャード三世」など三つの舞台での演技によりオビー賞を受け、「リチャード三世」はこれまでで最も怒りに満ちた演技だと評した批評家もいた。この舞台で、のちに結婚する女優コリーン・デューハーストと初めて共演した。ブロードウェイには1958年の舞台でデビューし、のちに『アンダーソンヴィル裁判』などで高い評価を得た。映画には1959年のゲイリー・クーパー主演作で初めて出て、同じ年にはジェームズ・スチュワートと共演した『或る殺人』で、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。1961年の『ハスラー』でも助演男優賞の候補になったが、このときは、ただちに指名を辞退した。

1964年の『博士の異常な愛情』では、タージドソン将軍を演じた。スタンリー・キューブリック監督は、アドリブで強い印象を残したピーター・セラーズと対比して、スコットのことを「同じ演技を何度でも繰り返せる俳優」と語ったという。1970年には『パットン大戦車軍団』の主役でアカデミー主演男優賞を受けたが、演技を他人と比べることはできないという考えから、数か月前から主催者に辞退を伝えており、賞を断った初の俳優となった。丁重に辞退を申し入れる一方、ほかの場では「あんなのは皆、下らないお祭り騒ぎさ。関わるのはご免だね」と述べていた。1971年の『ホスピタル』でも主演男優賞に指名されたが、これも辞退し、授賞式の壇上にはついに一度も姿を見せなかった。

1980年代初頭までは、リベラルで重厚な、正統派の演技者として厳格な存在感を示した。1984年のテレビ版『クリスマス・キャロル』以降は、性格俳優として不気味な悪役やホラー映画の主役なども演じ、テレビシリーズ『ムッソリーニ』では独裁者を演じた。1990年代にも脇役やB級作品の主演で第一線に立ち、晩年はテレビドラマでの活躍が中心だった。生涯に5度結婚し、2度結婚したデューハーストとの間の息子キャンベル・スコットも俳優になった。最後の妻トリッシュ・ヴァン・ディヴァーとは、幾度か共演作を残した。1999年9月22日に死去した。

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