伝記
ロジェ・ヴァディムは、1928年1月26日にパリで生まれた、フランスの映画監督・脚本家・俳優・作家である。本名はロジェ・ウラジミール・プレミャニコフで、父イゴールはキエフの貴族の家の出とされる白系ロシア人の亡命者だった。ロシア内戦で白軍に加わって捕らえられ、処刑の前日に脱走したのち、フランスに渡って帰化し、エジプトの副領事にまでなった。そのため幼年期をエジプトで過ごし、次いでトルコでも暮らした。父は1938年末にマラリアが原因で亡くなり、母は妹とともにアルプス地方の山村に移って民宿を営んだ。母は戦時中にユダヤ人をスイスなどへ逃がす拠点としても活用したと伝えられる。
16歳で舞台俳優としてデビューし、のちに政治学院での学業をやめて画家や俳優の暮らしを選び、演劇学校にも通った。1947年にアンドレ・ジッドの紹介で映画監督マルク・アレグレの助手となり、まもなく脚本も書き始めた。同時に雑誌の記者やカメラマンとしても働いた。1949年には雑誌の表紙で15歳のブリジット・バルドーを見つけ、アレグレに頼んでオーディションを受けさせ、互いに一目で惹かれ合ったという。バルドーが18歳になるのを待って、1952年に結婚した。彼女を映画界に売り出そうと脚本を書き、1956年、28歳で『素直な悪女』を撮って監督としてデビューした。22歳の妻を主役に据えたこの映画で、バルドーはセックス・シンボルとして世界的なスターになった。作品はフランスでは相対的な成功にとどまったが、アメリカでは大きな成功を収めた。しかしバルドーが共演のジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ち、二人は1957年に離婚した。彼女とはその後も『何がなんでも首ったけ』などで仕事を共にしている。
私生活でも華やかで、プレイボーイとして知られた。1958年にデンマーク出身のアネット・ストロイベリと結婚し、『危険な関係』『血とバラ』に出演させたが、2年で離婚した。1961年からはカトリーヌ・ドヌーヴと交際して息子クリスチャンをもうけ、彼女主演で『悪徳の栄え』を撮ったが、結婚はしなかった。1965年にジェーン・フォンダと結婚し、『獲物の分け前』『バーバレラ』などを監督したが、1973年に離婚した。1975年には衣装デザイナーと結婚して数年で別れ、1990年に女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚し、彼女とは自身が癌で亡くなるまで連れ添った。1950年代後半に流行し始めたアメリカ音楽で踊らせる社交場を「ディスコテーク」と名づけたのは彼だといわれ、ストロイベリやドヌーヴとの出会いもその店だったと自伝で述べている。1994年には、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の審査員として、バローとともに北海道夕張市を訪れた。
1950年代後半から60年代前半にかけての多くの作品でモード・ジャズを使い、日本では「シネ・ジャズ」と呼ばれた動きの牽引者として知られる。アート・ブレイキーの『危険な関係のブルース』やジョン・ルイスの『大運河』は代表的である。1983年には息子のクリスチャン主演の青春映画『さよなら夏のリセ』を監督した。著書『我が妻バルドー、ドヌーヴ、J・フォンダ』は日本語にも訳されている。2000年2月11日、パリで死去した。
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