HISTORICAL PERSON · 309年没

ウァレリウス・ロムルス

ローマ帝国の執政官。後の皇帝マクセンティウスの長男で、母は皇帝ガレリウスの娘。308年に父と共に執政官となったが309年に早世し、墓所はアッピア街道沿いにあり、死後に神格化された。

生涯
309年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ウァレリウス・ロムルスは、ローマ帝国の執政官を務めた人物である。マルクス・ウァレリウス・ロムルスといい、マルクス・アウレリウス・ロムルスとも記される。生年は292年か295年ごろとされ、293年から294年ごろとする説もある。後に皇帝を称するマクセンティウスの長男として生まれ、母は皇帝ガレリウスの娘ウァレリア・マクシミッラである。このため、ガレリウスの外孫にあたる。父方では、マクシミアヌスの孫でもあった。名のロムルスは、マクセンティウスの母ロムラにちなむともいわれる。弟が一人いたが、名は伝わらず、312年にコンスタンティヌスがマクセンティウスに勝った後に死んだとみられる。

幼少のころには「クラリッシムス・プエル」の称号を持ち、のちに「ノビリッシムス・ウィル」の称号を得た。305年から306年の日付をもつ碑文では前者で呼ばれ、まだ14歳になっていなかったと考えられる。308年、父のマクセンティウスは自身と息子ロムルスを執政官に宣言した。この年、父が実父のマクシミアヌスと関係を断ったことが、就任が4月20日と遅れた一因とみられている。翌309年にも父子はともに執政官とされた。

ロムルスは309年に早世した。310年にはマクセンティウスが同僚を置かず単独で執政官となり、息子の肖像のある貨幣を鋳造したことから、死はその前と推測される。テヴェレ川で溺れたのではないかとする推測もある。

墓所は、アッピア街道沿いにある父の皇帝邸と競技場の脇に築かれ、壮大な墓は一族の霊廟とすることを意図したものだった。死後は神格化され、父はフォルム・ロマヌムの近くに「神ロムルスの神殿」を献じた。ドーム状の社殿の扉が少し開き、頂に鷲のいる図柄で、「永遠の記憶」の銘をもつ記念貨幣も発行された。マクセンティウスの敗北後、神殿は元老院の決議でコンスタンティヌスに捧げられた。この神殿は、現在のサンティ・コスマ・エ・ダミアーノ聖堂にあたる。

ロムルスの名は、帝国の首都ローマとの結びつきを強調し、権力を争う競争相手に対して権威を高めようとした父の政治的選択に基づいていたという。

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