HISTORICAL PERSON · 2002年没

ロッド・スタイガー

アメリカの俳優。1954年の『波止場』で注目され、1964年の『質屋』でベルリン国際映画祭男優賞、1967年の『夜の大捜査線』でアカデミー主演男優賞を受賞した。

生涯
2002年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(Westhampton)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ロッド・スタイガーは、1925年4月14日にニューヨーク州のウェストハンプトンで生まれ、2002年7月9日にロサンゼルスで亡くなったアメリカ合衆国の俳優である。本名はロドニー・スティーヴン・スタイガー。ドイツ人、フランス人、スコットランド人の血を引き、風変わりで激しやすい人物の役を多く演じた。役柄になりきるメソッド演技と深く結びつけて語られ、そのために監督や共演者と衝突することもあった。

父はヴォードヴィルの芸人で、母とともに旅回りの歌と踊りの一座にいたが、本人は父を知らずに育った。母は歌が上手で、ハリウッド女優になりかけたが、脚の手術の後遺症で歩行に障害が残ったために芸能界を去り、酒に溺れた。母子はニュージャージー州のいくつかの町を移り、最後にニューアークに落ち着いた。母の飲酒のために肩身の狭い思いをし、周囲の子どもたちにからかわれもしたが、体が大きく力が強かったので、「ザ・ロック」と呼ばれ、学校では人気者で、ソフトボールにも優れていた。詩作や演劇への関心も早くから見せ、ニューアークの高校で学校劇に出た。母はその後の人生の最後の11年間は酒を断ち、断酒会に通ったという。

16歳で、母の飲酒から逃れるように家を出て従軍した。第二次世界大戦では海軍に所属して南太平洋で従軍し、除隊後はアクターズ・スタジオで演技を学んだ。舞台には1946年にニューアークの劇場で初めて立った。1947年からテレビに出るようになり、1953年のテレビドラマ『マーティ』の主役で批評家に評価された。1951年にフレッド・ジンネマン監督の作品で映画デビューし、1954年にはエリア・カザン監督の『波止場』でマーロン・ブランドの兄でギャングのチャーリーを演じて、注目を集めた。この役でアカデミー助演男優賞の候補になった。

1964年の『質屋』では、ニューヨークで質屋を営む、ホロコーストを生き延びたユダヤ人の男を演じた。この役でベルリン国際映画祭の男優賞(銀熊賞)を受け、アカデミー主演男優賞の候補にもなった。翌年には、デヴィッド・リーン監督の作品で、機会に敏い、ロシアの政治家を演じた。1967年の『夜の大捜査線』では、ミシシッピの警察署長を演じ、シドニー・ポワチエ演じる黒人の刑事を、事件を追ううちに尊重するようになる姿が称えられた。この作品はアカデミー賞5部門を受賞し、スタイガーは主演男優賞を得た。

1970年代には、より手応えのある役を求めてヨーロッパの作品に出る機会が増え、『ワーテルロー』ではナポレオン、『ブラック・シャツ/独裁者ムッソリーニを狙え!』(1974年)と『砂漠のライオン』(1981年)ではベニート・ムッソリーニを演じた。1970年代の終わりには、怪奇映画で精神を病んだ司祭の役もこなした。1980年代には心臓の病とうつ病で仕事が減り、低予算映画への出演を受け入れた。最晩年の作品の一つに、『夜の大捜査線』のノーマン・ジュイソン監督と再会した刑務所を舞台にした映画で、判事を演じたものがある。

私生活では、女優のクレア・ブルームを含む5度の結婚歴があり、オペラ歌手になった娘アンナと息子マイケルがいた。2002年7月、胆嚢の腫瘍の手術の合併症による肺炎と腎不全のため、77歳で亡くなった。

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