伝記
マックス・フェルディナンド・ペルーツは、1914年5月19日にウィーンで生まれた、オーストリア生まれのイギリスの化学者・分子生物学者である。父フーゴは織物の製造業者で、母はアデーレ・ゴルトシュミット。両親は出自の上ではユダヤ人だが、息子はカトリックの洗礼を受けさせた。ペルーツはのちに宗教を退け、無神論者となったが、他人の宗教的な信念を傷つけることには反対した。両親は法律家になることを望んだものの、学校で化学に関心を抱き、親の反対を押し切ってウィーン大学の化学科に入学し、1936年に卒業した。
講師から、ケンブリッジ大学でゴウランド・ホプキンズらが生化学を進めていると聞かされ、受け入れ先を問い合わせてもらおうと、ケンブリッジを訪れる予定の教授マルクに頼んだ。マルクはそれを忘れたが、X線結晶学の研究を助ける学生を探していたJ・D・バナールを訪ねていた。結晶学を知らなかったペルーツはうろたえたが、すぐ覚えると言われ、バナールのもとで、キャヴェンディッシュ研究所の研究生となった。父がロンドンの代理人に500ポンドを預けて、留学を支えた。バナールはX線回折でタンパク質の構造を調べることを勧め、結晶が得にくかったため、ウマのヘモグロビンの結晶を用いて博士論文に取り組んだ。ヘモグロビンは、その後の職業生活のほとんどを占める研究対象になった。1940年にローレンス・ブラッグのもとで博士号を取った。所属するカレッジには、食事が最もよいという理由でピーターハウスを選び、1962年には名誉フェローに選ばれた。
1938年にヒトラーがオーストリアを併合すると、両親はスイスに逃れたが全財産を失い、ペルーツは仕送りを失った。スキーや幼いころからの登山の経験、結晶の知識を買われて、1938年夏にスイスの氷河で雪が氷に変わる過程を調べる3人組に加わり、その論文で氷河の専門家として知られるようになった。ブラッグの勧めでロックフェラー財団の助成を受けることができ、1939年3月に両親をスイスからイギリスに呼び寄せた。第二次世界大戦が始まると、ドイツやオーストリアの出身者として拘束され、チャーチルの命令でニューファンドランドに送られたが、数か月後にケンブリッジへ戻った。氷の知識を買われて、1942年にはハバクック計画に加わり、氷と木材パルプを混ぜた新素材パイクリートを調べた。氷でできた足場を大西洋の真ん中に造り、航空機の燃料補給に使う秘密の計画で、ロンドンの食肉市場の地下で初期の実験をした。
戦後の1947年、ブラッグの支援で医学研究協議会の援助を得て、キャヴェンディッシュ研究所に分子生物学の研究室を設けた。ここにはフランシス・クリックが1949年に、ジェームズ・ワトソンが1951年に加わっている。1953年には、重い原子を付けたタンパク質の結晶と付けない結晶のX線回折の像を比べて、位相を決められることを示した。1959年にこの方法でヘモグロビンの立体構造を決定し、1962年にジョン・ケンドルーとノーベル化学賞を共同で受賞した。同じ年に医学研究協議会の分子生物学研究所をケンブリッジに設立し、1979年まで議長を務めた。この研究所からは14人のノーベル賞受賞者が出ている。1954年に王立協会のフェローに選ばれ、1971年にロイヤル・メダル、1979年にコプリ・メダルを受けた。2002年2月6日に死去した。
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