伝記
ミケランジェロ・メリージ、通称カラヴァッジョは、1571年、ミラノで三人兄弟の長男として生まれた。父フェルモ・メリージは、ベルガモ近郊にあるカラヴァッジョ侯爵家の邸宅管理人かつ室内装飾担当で、母ルチアは同地方の地主階級の娘であった。1576年にペストで荒廃したミラノを離れ、一家でカラヴァッジョ村へ移ったが、翌年には父と祖父が亡くなり、母も1584年に死去した。この年から、ティツィアーノの弟子だったという記録が残るミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノのもとで、4年間徒弟として修行した。年季が明けた後もミラノ近辺にとどまり、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』など、ミラノにある貴重な作品やロンバルディア地方の絵画に親しんだ。ローマ風のマニエリスムではなく、飾り気のない自然主義に傾いていったという。
1592年半ば、おそらく喧嘩で役人を負傷させ、ミラノを飛び出して、ほとんど無一文でローマへ逃げ込んだ。数か月後には、教皇クレメンス8世のお気に入りの画家ジュゼッペ・チェーザリの工房で助手を務め、花と果物の絵で腕を知られるようになった。この時期の『果物籠を持つ少年』や『病めるバッカス』などは精密な写実で描かれ、名声を高めた。1594年にチェーザリの工房を解雇されて独立を決意し、生涯でもっとも底辺の時期を送ったが、画家プロスペロ・オルシや建築家オノーリオ・ロンギ、シチリア出身のマリオ・ミンニーティらと友人になった。ミンニーティはモデルを務め、『女占い師』では少年の姿で描かれている。この作品は二人以上の人物を描いた最初の作品で、のちの世紀にわたり描かれる題材の先駆けとなったが、本人はただ同然の価格でしか売れなかった。
『トランプ詐欺師』は最初の傑作とされ、この作品を通じて、枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテに認められ、その後援を受けた。デル・モンテらの依頼で多数の室内装飾用の絵を描き、『奏楽者たち』や『バッカス』などを制作した。最初期の宗教画には『悔悛するマグダラのマリア』がある。1600年には、枢機卿に依頼された『聖マタイの殉教』と『聖マタイの召命』を完成させ、一躍ローマ画壇の寵児となった。極端ともいえる自然主義と、演劇の一場面のような強烈な明暗法が特徴である。
画家としての注文やパトロンには困らなかったが、暮らしは荒れており、自宅で暴れて拘置所に送られたこともあった。1604年に出た最初の記事は、2週間絵を描くと、その後1、2か月は召使を連れ、剣を下げて町を歩き、喧嘩や口論に明け暮れたと伝える。1606年には乱闘で若者を殺して懸賞金をかけられ、ローマを逃げ出した。1608年にマルタで、1609年にはナポリでも乱闘騒ぎを起こし、待ち伏せに遭って重傷を負ったこともある。翌年、殺人の許しを得るためローマへ向かう旅の途中、熱病にかかり、トスカーナ州モンテ・アルジェンターリオで1610年7月18日に38歳で死去した。
生前は悪名高い一方で作品の評価は高かったが、死後まもなく忘れられ、20世紀に入って再評価された。ルーベンスやベルニーニ、レンブラントらの作品にも、直接・間接に影響が見られる。
同じ年に亡くなった人物
- マテオ・リッチ (1610年没)
- 本多忠勝 (1610年没)
- ジローラモ・ディルータ (1610年没)
- 細川藤孝 (1610年没)
- 偽ドミトリー2世 (1610年没)
同じ地域に関係する人物
- アンドレア・パッツァーリ (2011年没)
- ジーノ・チェルヴィ (1974年没)
- フレデリック・ジェフスキー (2021年没)
- ガイウス・アティリウス・レグルス (紀元前225年没)
- ジョルジョ・アルベルタッツィ (2016年没)