伝記
アルキロコスは、古代ギリシアの詩人である。生没年はおよそ紀元前680年から紀元前645年ごろとされるが、年代の考証は複雑で、紀元前640年ごろまでとみる研究者も多い。パロス島の出身で、自らの感情や体験を主題に詩をつくった最古のギリシア人作家として知られる。
生涯についての情報は、本人の詩、後代の著述家の証言、碑文などから得られるが、伝承は概して信頼しにくく、断片的な詩から個人史を読み取ることにも限界がある。アリストテレスが、詩の中の語り手が別人の役を演じている例としてアルキロコスの断片を引いていることから、彼の詩が実体験をそのまま語るとは限らないという指摘もある。
伝承によると、彼はパロス島の名門に生まれた。祖父あるいは曾祖父のテリスは、紀元前8世紀の終わりごろにタソス島でデーメーテール信仰の確立に関わったとされ、父テレシクレースはタソス島に植民地を築いた人物として語られる。一方で、彼を貴族の私生児とし、母は奴隷でエニポという名だったとする報告や、貧しさから島を出て傭兵になったという話もある。ただ、こうした話は詩の読み違えから生じた疑いがあり、傭兵だったことを裏づける確かな証拠はないとも指摘される。少年のころ、父に頼まれて畑へ牛を取りに行くと女たちに出会い、彼女らが牛の代わりに竪琴を残して消えた、それはムーサたちで、のちにデルポイの神託もその兆しを認めたという伝説が、後世の碑文に記されている。
彼の生涯には争いが多かった。パロス島民リュカンベスは娘ネオブーレーとの結婚を約束しながら破ったとされ、彼は偽証の罪で訴えたうえ、デーメーテールの祭りの際に風刺詩で父娘を罵倒した。その詩のせいで父娘は首を吊って死んだとも言われる。タソス島での暮らしも幸福ではなく、彼は島を全ギリシアの不幸が集まる場所だと詠み、トラキア人の部族との戦いにも巻き込まれた。有名な断片では、茂みに隠れるため盾を手放して逃げたことを、命のほうが盾より値打ちがあり、同じくらい良いものはまた買えると歌っている。彼は兵士としての気概と詩人としての感受性を併せ持つ自らを、戦いの神に仕える者でありながらムーサの贈り物を知る者だと詠んだ。その後はスパルタを訪れたが、この行いや作品の不道徳さを理由に追放されたと伝わる。さらに南イタリアのマグナ・グラエキアを訪ね、その土地には好意的だったと語る。やがて故郷へ戻り、ナクソス島民との戦闘のなかで戦死したとされ、殺した男は詩人を殺すだろうという神託を受けていたという。
作品はエレゲイア、讃歌のほか、短長格と長短格で書かれたイアンボス詩が中心である。古代のギリシアの修辞学者たちは、彼がイアンボスを発明して風刺に使ったと信じ、叙事詩の緩やかな韻律では風刺の軽やかさを出せなかったと考えた。ホラティウスは彼の怒りを語り、ハドリアヌスはその詩を激しいイアンボスと呼んだ。同国人は彼をホメロスに並ぶ詩人として敬い、二人の彫像を同じ日に奉納したという。パロス島には紀元前3世紀ごろ聖域が設けられ、崇拝者が供え物を捧げた。作品は断片のみが現存するが、2005年にはオクシリンコス・パピルスからエレゲイア30行が新たに発表され、内容はトロイア戦争の発端となった出来事で、アカイア人がミュシアの王テレポスと戦う場面を描くという。
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