伝記
ホセ・ギジェルモ・アベル・ロペス・ポルティーヨ・イ・パチェコは、1920年6月16日、メキシコシティの政治家と知識人の家に生まれた。父祖はスペイン北部ナバーラ地方のカパロソの出で、彼自身もこれをたびたび自慢したという。祖父のホセ・ロペス・ポルティーヨ・イ・ロハスは、著名な作家で政治家だった。ポルフィリオ・ディアス政権下で連邦下院議員と上院議員を務め、マデロの時代にはハリスコ州知事となり、のちにウエルタ政権で外務大臣にもなり、メキシコ言語アカデミーの会員、院長にもなった人物である。父のホセ・ロペス・ポルティーヨ・イ・ウェーベルは軍務に就いて、忠誠の行進でマデロ大統領の護衛を務め、のちには歴史と文学に携わった。この父から、若いころ、権力を追うなという助言を受けたとされる。
メキシコ国立自治大学の法学部で学び、1946年に課程を終えた。1951年にカルメン・ロマーノと結婚し、三人の子が生まれた。弁護士として働いたのち、1960年から母校の教壇に立った。幼なじみの親友ルイス・エチェベリアが、講座の空きを譲ったことによる。「現代国家の一般理論」などを教え、のちに大統領職を継ぐことになるミゲル・デ・ラ・マドリも教え子の一人である。国立理工科大学でも教え、1961年には、その商業・行政高等学校に行政科学の博士課程を創設した。
政界に入ったのは1959年で、長く政治を支配した制度的革命党に加わった。当時のロペス・マテオス大統領の理念に動かされたとされる。国有財産省、大統領府、連邦電力委員会の局長などを経て、1973年にエチェベリア大統領のもとで財務大臣に任命され、1975年に大統領候補となって辞職するまで務めた。経済の経験がない者が財務を握ることは、不文律を破るもので、エチェベリアは「これからは経済政策は大統領官邸で決める」と述べたという。1976年に党の大統領候補に選ばれ、選挙に勝って、同年12月1日にメキシコの大統領に就任した。
政権はエチェベリア政権の政策を基本的に引き継ぎ、カンクンで、アメリカ合衆国、日本、西ドイツなど先進国とインド、中華人民共和国、ブラジルなど発展途上国の首脳を集めて南北問題を議論する初の会議を主催し、第三世界の指導者の一人として振る舞った。オイルショックでペメックスの経営が好転し、タバスコ州とチアパス州で新しい油田も発見されたため、石油価格の上昇を背景に、経済は成長を続けた。この間に国は、歴史上最も高い経済成長を数年で経験した。石油収益を元手に野心的な開発を進めたが、そのために政府の借款は急速に増えた。1981年に石油価格が暴落すると財政はたちまち行き詰まり、通貨ペソの暴落で外国銀行は融資を拒むようになった。1982年9月1日に銀行の国有化を発表したが、根本的な解決にはならなかった。任期の終わりには、メキシコは世界最大の対外債務を抱えていた。後任には、企画予算大臣だったミゲル・デ・ラ・マドリを指名し、その当選とともに1982年11月30日に退任した。1978年10月には夫人とともに国賓として来日し、天皇や福田首相と会談して、大勲位菊花大綬章を受けた。汚職や縁故主義の疑いも政権につきまとい、国内で最も議論の多い大統領の一人となった。2004年2月17日、メキシコシティで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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