伝記
エウセビオスは、ギリシア教父の一人であり、歴史家にして聖書注釈家である。カエサレアのエウセビオスと呼ばれ、263年ごろに生まれ、339年5月30日に没した。314年前後からパレスティナのカエサレア・マリティマで司教を務めた。師パンフィロスとともに正典の確定に関わり、聖書研究として『福音の論証』『福音の備え』『福音間の矛盾について』を残した。とりわけ歴史著述で知られ、後世に「教会史の父」と呼ばれる代表作『教会史』のほか、『パンフィロスの生涯』『年代記』『パレスティナ殉教者列伝』がある。自ら「パンフィロスの息子エウセビオス」を名乗ったといわれる。
その生涯について知られることは少ない。後任のカエサレア司教アカキウスが伝記を著したが、すでに失われている。現存する著作も、おそらく全体のほんの一部にすぎない。4世紀のアリウス論争でアリウス派に同情的な態度を示したため、後世の評価は芳しくなく、著作の保存も熱心には行われなかった。彼は『教会史』でアレクサンドリアのディオニュシオスを同時代人として書いており、それが事実であればディオニュシオスの没した264年秋以前の生まれとなり、近代の歴史家の多くは、生年を260年から265年のあいだに置く。おそらくカエサレアで生まれ、そこで洗礼を受けて教育を受け、人生の大半を過ごしたのだろう。カエサレアには使徒伝道の時代にさかのぼるキリスト教徒の共同体があったが、190年ごろまで司教がいた証拠はない。296年、ディオクレティアヌス帝の軍隊がパレスティナを訪れたとき、彼はコンスタンティヌスの従軍を目撃しており、このころパレスティナにいたことは確実である。彼はアガピオスのもとで司祭に叙された。
カエサレアは、オリゲネスとその学統を継ぐ人々の活動で、キリスト教教育の中心地の一つとなっていた。オリゲネスは個人的な蔵書をパンフィロスに遺贈し、パンフィロスがカエサレアに図書館を設立して、蔵書は3世紀の後半に3万冊に達した。パンフィロスは学校も設け、直接生徒を指導した。280年ごろに移住してほどなく、パンフィロスはまだ20歳から25歳ほどのエウセビオスを指導し始め、二人の関係は、彼が「パンフィロスの子」と呼ばれるほど親密だった。こうしてエウセビオスは、オリゲネスの思想への賞賛を強めた。図書館の聖書の写本には、パンフィロスやエウセビオスを含む友人や生徒たちが、校閲し訂正を加えた跡が見られる。この時期に、彼は『パレスティナ殉教者列伝』を編んだのだろうと考えられる。290年代には『教会史』の執筆を始め、同じころ天地創造から同時代までの出来事を綴る『年代記』にも取りかかり、300年までに二つの初版を完成させた。
314年ごろ、カエサレアの司教となった。318年にアリウス論争が起こると、彼はアリウス派に同情的な姿勢をとったが、それはアリウスを破門したアレクサンドリア司教の主張に異端の疑いをかけたからで、積極的にアリウス派を支持していたわけではないらしい。324年ごろからは、教養と著述家としての名声によって、コンスタンティヌス帝の寵愛を受けた。325年のニカイア公会議では、皇帝に命じられてカエサレア教会の信条を提出し、出席者全員の前で読み上げた。最終的には、この信条に反アリウス主義の文言を加えたニカイア信条が採択され、彼は本心から賛成していたわけではなかったが、署名して同意した。330年のアンティオキアの会議では、対立したエウスタティウスが追放され、335年にはティルスの会議で議長を務め、アタナシオスの司教罷免と追放が決まった。
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