HISTORICAL PERSON · 1620年没

シモン・ステヴィン

ブルッヘ出身の数学者・物理学者。落下の法則をガリレオより早く発見し、力の平行四辺形の法則を導き、1585年にヨーロッパで初めて小数を提唱した。オランダ陸軍主計総監も務めた。

生涯
1620年没
死亡地
オランダ(南ホラント州 / デン・ハーグ)
出生地
ベルギー王国(ブルッヘ)
出典
世界地図
オランダ(南ホラント州)

伝記

シモン・ステヴィンは、1548年ごろにフランドルのブルッヘで生まれ、1620年に没した数学者、物理学者、会計学者であり、のちにオランダ軍の主計将校も務めた。ガリレオ・ガリレイより早く落下の法則を発見し、ヨーロッパで初めて小数を提唱し、力の平行四辺形の法則の発見者としても名高い。

若い頃のことは詳しく分かっていない。アントン・ステヴィンの私生児として生まれ、少年時代を母親の手ひとつで育てられたとされ、母方の家は熱心なカルヴァン派だったという。アントワープで書記や簿記の見習いとして働いたとされ、その後、1571年ごろからの約10年間は、ポーランドやプロイセン、ノルウェーなどを旅していたともされる。この説では、アルバ公による宗教迫害が放浪のきっかけと考えられている。1577年には故郷ブルッヘの財務局に勤めていた。

北オランダに移ってからの動向は、比較的はっきりしている。1581年にライデンに移り、ライデン大学に在籍して工学の研究に精力的に取り組んだ。1584年には浚渫と排水のしくみについての考察を実証しようとデルフト市当局と交渉し、オランダ議会からその考察に対する特許を与えられた。オランダ総督マウリッツと親しくなり、1592年に運河や水門の工事を監督して認められ、のちに軍に勤務した。1594年に要塞建設の本を出版して、要塞技術の第一人者としての地位を確立し、財政監督官に任ぜられて、防衛と航海に関する調査を委ねられた委員会に加わった。1600年にはライデン大学の工学部創設のための委員長となり、教育ではラテン語ではなくフランドル語で講義をする規定をつくった。1603年にマウリッツの推薦でオランダ陸軍主計総監となり、1620年に亡くなるまでこの職にあった。1616年に結婚し、四人の子をもうけている。

学問上の成果は多い。1586年にはアルキメデスの研究を発展させた著作で、力のベクトル合成の理論や水圧を述べ、てこの原理を証明した。数珠を用いた思考実験によって永久運動が不可能なことと斜面の法則を示し、力の平行四辺形の法則の発見に至った。この著作の付録には、重さが10倍異なる二つの物体を落とすとほとんど同時に落下するという実験結果も示されている。同年の『水の重さの原理』では、容器の形に関係なく水面は地球の球面と変わらないことなど、水の平衡状態についての力の法則を導いた。1588年には水力学の発明の実用化をめぐって、法学者グロチウスの父ヨハン・コルネッツ・デ・フロートと共同関係を結び、既存の水車を数多く改良した。

1585年の著作では、十進数による小数の理論を唱え、19.178を「19⓪1①7②8」のように表した。ほかにも加減を表す記号など、さまざまな記号を導入した。1605年に出版した『数学覚書』では年次期間損益計算書や精算表を解説し、会計史や簿記史で重要とされる。この本で、国家の財政管理にも複式簿記を導入することを提案した。書きかけの原稿では、西洋で初めて2の12乗根による平均律を述べており、この原稿は彼の死から300年ほどたった1884年に出版された。計算の精度はよくなく、算出した値の多くは正しい値から1から2の単位ずれていた。

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